煙草と仕草と時代と
近年、愛煙家の肩身が徐々に狭くなっていると伺う。全席禁煙の飲食店も徐々に勢力を増し、たばこ税改正により安価で購入出来るものが姿を消す。別の角度から見ると、海外に輸出されるアニメの中に未成年の喫煙シーンがあれば、チュッパチャップスを咥えたものに差し替えられるほどだ。
嫌煙家の私としては願ったり叶ったりな社会情勢になりつつあるのだが、同時に少し困る部分も出て来るのではないか、と危惧している面もある。
それは、たばこが持つ表現を今後使用出来なくなってしまうということだ。
『麻雀放浪記』を例に挙げて考えてみる。
今作は終戦後の時代を描いた作品だ。そんな時代を象徴する小道具の一つがたばこである。戦争とたばこは切っても切れない縁で繋がっているという話がある。というのも、軍隊に所属していた人間の士気を高めるために軍人は皆喫煙しており、重要補給品に指定されていた。戦争が終わってからはアメリカと共同開発した「Peace」などが売れ、1960年頃には成人男性の喫煙率が80%を超えていた。
はてさて、そんな背景がある戦後を映像化するにあたって、たばこの存在は欠かせない事は十分に伝わっただろう。たばこは時代背景を表現する小道具として、自然に映像に織り込む事が出来る優秀な存在だ。
そして、もう一点私が考えるたばこが持つ表現というのがある。それは、人柄を表すものだ。
たばこの取り出し方、火の付け方、持ち方、吸い方、煙の吐き方、火の消し方。一本たばこを楽しむだけでも、これだけの所作が存在する。そこに出てくる性格を楽しみながら映像を眺めるのもまた一興だ。
そして、たばこを映す事で口元のアップの構図を入れられるのもまた良い。口角が上がっている、歯軋りをしている、真一文字に口を結んでいる…。心情描写をそれだけで表す事が出来る口元と煙草は仲睦まじい関係なのかもしれない。
環境4年 71247328
原田 健太