淡色のファンタジー(『海の仙人』)

 色で表すなら、グレー。でも、そんなに濃くない。透明にちかい。砂みたいにさらさらしている。
 たまにあるのだ、こういうお話が。声高な主張はない。後味は軽い。だから何度も読める。余談までに、対義語は重量級ソースたっぷり豚カツ系。こいつを読み返すのは骨が折れる。

 なんてシビアなファンタジーだろう。ここに充満しているのは諦念だ。曇り空、諦めたように打ち寄せる波、原発銀座の静けさ。しかし、その最たるものは彼だろう。役立たずの神様『ファンタジー』。敦賀の海沿いに住む“仙人”河野の元に突然現れ、彼の時間を押し進める。ファンタジーは孤独な者と語らうだけ。毎日卵に戻っても続く記憶の中で、かつては滅びてゆくトキを、運命をみた、かりんを看取る。ファンタジーは救いではない。だから諦めた。でも、孤独な、滅びゆくものに寄り添うことで、ほんの少し、戦っている。自分を救えるように手助けをしているのかもしれない。印象的だったのは、なんでも達観している風情のファンタジーがぽろっとこぼした質問。

「幸せってなんだ」
 
 書き手である絲山さんは、ともすれば重苦しく、くどくなるような命題を実に手際よく料理している。『孤独』『恋』『死』『近親相姦』『性行為の意義』『結婚』『神』などなど…あまりにもなめらかなので、考えさせられていることにも、答えが散りばめられていることに気付けないくらいだ。登場人物たちが自分で、時には仲間との会話の間で、答えをつかむ。そうして、前に進む姿を見ているからだろうか、諦念に包まれていても決して後ろ向きな感じはしない。河野が立ち直っていく姿など、かりんと一緒に応援したくなる。

 勿論、ファンタジーの疑問にもすぐに答えが用意されている。

「ありのまま、を満足すること」

 このお話は、ありのまま、を満足するために、諦めがつくまで、自分を救うために、もがいた、そんな厳しいファンタジー。さて、もう一度。

総合政策学部4年 吉岡優希

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