『そこのみにて光輝く』(映画)

 

「君たちの前には無限の可能性が広がっている」中学・高校の卒業式で学校長が口にした言葉を思い出した。この映画は、そんな校長の言葉が全ての人間に当てはまるわけではないという感情を沸き上がらせ、私の心をジワジワ浸食していった。

過去の出来事から逃れられず日々パチンコ店に足を運ぶ達夫(綾野剛)が出会ったのは、海辺のバラックに住む家族。そしてその家族の長女である千夏(池脇千鶴)との出会いが、達夫が目を背けようとしてきた「人に対する愛情」を蘇らせた。だが、そんな達夫が直面したのは、想像を絶する家族の現状。脳梗塞を煩い瀕死寸前であるはずが、性欲だけは衰えることのない父。独りでは何もできない父の性欲を処理する母と千夏。前科持だが懸命に生きようとする拓児。その全てを受け入れて、達夫と千夏は自らの愛を信じ、唯一の生きる場所を二人の愛に見いだす。

全編を通して描かれていたのは、生々しい人間の性と愛。ラストに描かれるのは、愛あるところで唯一希望を抱くことのできた人間の輝き。その一瞬の輝きに陽の印象を抱く人が多いと思う。しかし、ひねくれ者の私は単純にそう解釈することができなかった。むしろ逆で「そこでしか光輝けない」と見えた。愛にすがる他ない。それ以外どこにも逃げ場がない。そんな状況で際立つ光として人間の愛が見事に描写されていたことは確かだが、観賞後、私の心に残ったのは「それだけしかない」という儚さだった。愛のみで無限の可能性などとは到底言えたものじゃない。無責任な言葉を卒業していく若者に送る大人たちに、ぜひこの映画を薦めたい。

 

 

福田周平

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