龍口直太郎 訳「フォークナー短編集」

総合政策学部3年

小山峻

 

アメリカ南部の悪習や苦悩を描き続けた、二十世紀アメリカ文学界の文豪ウィリアム・カスバード・フォークナー。彼の作品八編を収めたのが「フォークナー短編集」だ。本書ではいたるページに、スモッグのような「差別」が立ち籠めている。

アメリカ南部の差別といえば、有名なのは黒人に対する差別だ。本書でも黒人は、一方的に強姦の冤罪をかけられる、よそのインディアンの族長と共に埋葬されるなど、相当な理不尽を被っている。しかしフォークナーは、黒人差別の陰に潜む、より多様な差別も同時に描いている。女性、子供、家族、町の富豪や黒人を擁護する白人に対して、人々は対岸の分かり合えない者として扱い、歩み寄ろうともしない。そして人々はその差別を、怒りによる暴力や哀れみの眼差しとして発現する。またフォークナーは被差別者への過度な贔屓もしない。作中の黒人の多くは差別という屈辱を受け入れて現状を打開しようとしておらず、差別者とは異なる卑屈さを醸している。「孫むすめ」では、逆に黒人が貧困層の白人を嘲笑し差別する場面もある。加害者被害者関係なく全てがどこか狂っているという、その場のあるがままの空気感が、無情に等しく描かれているのだ。

フォークナーは、「差別はなくすべき」と安易に訴えかけるのではなく、差別という事象、それが起こる環境をただただ表現することで、反論の余地のない無骨な圧倒感を作り上げているのである。しかしその大いなる圧倒感に荘厳さはまるでなく、あるのは薄汚さと息苦しさである。息が詰まりそうにながらも、それでも読み進めていく内に、読者はやがてこの圧倒感の正体に気付く。そして「差別とは何なのか」という自問をする。

フォークナー短編集が出版されてから六十五年が過ぎた。当時に比べれば多くの差別は霧消したはずである。しかしこの本を読んで少しでも既視感を覚えたのなら、私達は未だ途方もないスモッグの中を生きているのかもしれない。

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