kadai

    蝉
                            野田逸平

 僕は神奈川の実家から母型の祖母のお見舞いのために母と二人で京都へと新幹線で向かっていた。外は気持ち悪いぐらい晴れていてやはり世界は僕を中心に回っていいないんだなと改めて感じさせられるような天気だった。
 祖母は1年ほど前から癌を患っており治療を行っていたが先月脳にまで癌が転移していることが発覚し先が長くないだろうということで意識があるうちに一度会っておいた方がいいと言われ急遽祖母の実家である京都へ行くことになったのである。
 僕は神奈川の大学に通っており日々無気力な生活を送っていた。講義にはとりあえず出席はするが話もろくに聞かず何一つ学ぶことなく非生産的な大学生活を送っていた。正直大学入学前の方が知識も気力もあったのではないかと思うほどである。こんな自分がとても嫌になっていた。
 京都の祖母とは小さい頃は毎年会っていたものだが最近は高校を卒業した時に会って以来もう5年近く会っていない。電話でたまに話す程度になっていた。正直大学に入って会いにいく時間もあったが大学に受かった時にとても喜んでくれた祖母に会う勇気がなかなか出なかった。落胆させたくなかった。昔の純粋な頃の自分で記憶を止めておいてほしかった。今の自分が恥ずかしくて電話でも真面目に大学に通って勉強していると精一杯嘘をついていた。しかし先が長くないと言われるとさすがに会わなければと思い今回京都へ行くことを決めた。
 京都へ行く途中の新幹線は本当に憂鬱な気分だった。母親は僕が退屈しないように気を使って色々な話をしてくれたが全く頭に入ってこなかった。僕はひたすら外の景色を眺めながら必死に嘘の自分の話を考えていた。大学では何を学んでいることにしようか。どんな活動をしていると言おうか。考えているうちに自分の日常がいかに薄っぺらなものかを再確認しているような気分になりさらに憂鬱な気分になった。
 思っていたよりも早く新幹線は京都駅に到着し迎えにきてくれているという母の弟を探しに駅の外へ出た。間もなく無事に合流することができた。車に乗り込み母と叔父は久しぶりに会ったということもあり色々と話が弾んでいるようだった。叔父は自分で会社を経営しており昔会った時に比べるとずいぶん太ったように思えた。叔父が離婚しており現在一人暮らししているということもあり入院が終わった後祖母を引き取るかどうかという話もしているようだった。
 祖母は家の近くにある大きな病院に入院しているが家にいる祖父も一緒にお見舞いにいくということでとりあえず祖父の家へと向かうことになった。だんだんと家に近づいていくにつれて窓から見える景色が見覚えのあるものへと変わっていった。大きなショッピングセンターなどが建ち景色は変わっているが確かに見覚えのある景色であった。開けた窓から入ってくる風もどこか僕を純粋な頃の自分に戻してくれるような気がした。
 程なくして祖父の家に着いた。心臓が締め付けられるように苦しくなりやっぱり会うのをやめようかとも思った。しかしここまで来て帰るわけにもいかず母と祖父の家のインターホンを押した。玄関の扉が開き出てきた祖父は自分の記憶の中の元気な祖父のままだった。少し痩せたような気もするがはっきりと喋り動きも歳を感じさせるものではなかった。家に入ると僕の写真がたくさん貼ってありずっと忘れずにいてくれたんだと思うと今まで会いに来なかったことを本当に申し訳なかったと思った。祖父は僕に色々な話をしてくれた。ゴルフの話や禁煙の話から大好きな野球の話まで僕が話す暇がないぐらいずっと話し続けた。話している間もずっと笑顔で嬉しそうに話す祖父を見ているとすごく優しい気持ちになった。久しぶりに感じたとても純粋な愛情だった。お腹空いてるだろと言って焼いたお餅を出してくれた。くる途中の新幹線で駅弁を食べていたので正直お腹はいっぱいだったが小さい頃に僕がお餅が好きでよく祖母に焼いてもらって食べていたことを覚えていてくれたことが嬉しくてちょうどお腹が空いていると言ってお餅を食べた。祖父の焼いてくれたお餅は焼きすぎて堅くなってしまっていたが家事など全くしない祖父が頑張って焼いてくれたということだけでも涙が出るほど美味しく感じた。
 面会時間が迫っているということもあり僕たちは病院へと向かうことにした。病院へは祖父の車を僕が運転していくことになった。病院へ向かう道中も祖父は話し続けていた。自分も早く死なないと回りに迷惑かけるからなるべく早く死なないとなんて笑いながら言っている祖父はどこか悲しそうだったが僕もそんなこと言わないでよと言って笑うことしかできなかった。
 病院に着いて入り口の近くで母と祖父を先に車から降ろし僕は駐車場に車を停めた。そして合流し祖母のいる病室へと向かった。病院の真っ白な壁は綺麗であったがその時はなんだか気持ちが悪く感じた。きっと僕の死に対する色のイメージが白であったからだろうと思う。白い壁から声が聞こえる。お前のおばあちゃんはもうすぐ死ぬんだぞ。なかなか会いに来なかったお前のことなんてもう忘れてるよ。今更何しに会いに来たんだ。頭の中に声が直接入ってくる。気持ち悪くて叫びそうになったところで母に声をかけられ我に帰った。もうすぐ病室に着くらしい。
 少し歩き祖父が止まったところに祖母の名前があった。今の時代では珍しいカタカナの名前なのですぐにわかった。そして中に入った祖父に続いて僕と母もに入った。正直祖母を見た感想は驚きしかなかった。自分の中の記憶の祖母とは全くの別人になってしまっていた。見るからに痩せてしまい唇は乾燥し髪の毛も薄くなってしまっていた。近づいて手を握ると僕のことがわかったようで嬉しそうな顔をして名前を呼んでくれた。しかし声もほとんど出ないようで口の動きで言葉を読み取るしかなかった。よく来てくれた。会いたかった。そういって涙を流して喜んでくれた。喜んでくれていることに心が痛くなった。いっそのこと忘れてくれていた方が良かったとさえ思った。母もショックを受けていたようだがなんとか現実を受け止め祖母と話し始めた。病気のことには触れず最近の出来事や父親の愚痴など普段しているような会話をしていた。祖母もその話をとても楽しそうに聞きながら時々へーとかほーとか言っているような口の動きをしていた。母と話している間も祖母は私の手を離さなかった。手は暖かみがあり生きているんだということを必死に僕に言って来ている気がした。自然と僕の祖母の手を握る力にも力が入った。この手を離してしまうと祖母の暖かさがどこかに行ってしまうんじゃないかと思った。
 僕はたくさん考えていた祖母に話したいことを結局ほとんど話すことができないまま時間が経っていった。母と祖父が話しかけているのにうなずくことしかできなかった。こんなことならもっと会っておけば良かった。もっと電話で話しておけばよかったと今更遅いとわかりながらも本当に後悔した。泣いてはいけないとわかっていたのに自分の意識に逆らって涙が止まらなくなっていた。何も話せない自分が情けなかった。もっとちゃんとした生活を送っていればもっと笑って報告できたことも多かったはずなのに。今の自分に胸を張って話せるようなことはひとつも無かった。泣いている僕に祖母は笑って大丈夫だよと何度も言ってくれた。僕なんかよりも何倍も大変な状況なのにこんな時でも僕のことを気にかけてくれる祖母に対して本当に感謝と申し訳なさしか無かった。
 そして面会の時間が終わり僕たちは病室から出ることとなった。明日また会いにくるからねと言うと祖母は嬉しそうにしていた。病室を出ると今まで笑って話していた母が堰を切ったように泣き出した。祖母の前では泣いてはいけないと我慢していたのだろう。あまりに変わってしまった祖母の姿を見るのが本当に辛かったんだと思う。祖父の励ましもありなんとか母が落ち着いたところで私たちは病院を後にすることにした。
 家へと帰る車の空気はとても重いものだった。窓から入ってくる生暖かい風が身体にまとわりついてきているような気がしてとても気持ちが悪くなった。会話もあまり無いまま家に着き移動の疲れもあったのでひとまず寝ることにした。布団に入り目を瞑る。とても懐かしい匂いがして昔のことをぼんやりと思い出した。まだ小学生だった頃庭でキャッチボールをしたこと。近くのデパートのゲームセンターに連れて行ってもらったこと。記憶の中の祖母はとても元気で今病室で寝ていることが夢だったんじゃないかと思えてきた。このまま寝て目が覚めたらきっと元気な祖母に戻っていてまた一緒にキャッチボールができる。そんなありもしないことを考えているうちに僕は眠りに落ちていた。
 母にご飯ができた声をかけられ僕は目を覚ました。あまり時間は経っていなかったがとても長い時間眠っていたような気がした。リビングに行くと祖父と母が出来上がったご飯を机に並べている最中だった。晩ご飯はトンカツのようだ。くる途中の新幹線で僕がカツサンドを食べているのを知っているはずなのになぜトンカツなんだと思いつつ母らしいなと思い少し頬が緩んだ。3人でご飯を食べながら明日のお見舞いの時間などについて話した。あまり朝早く行くのも祖母の体力的にかわいそうなので昼頃にお見舞いに行って夜の新幹線で帰ることになった。ご飯を食べ終わると祖父がやたらとお酒を勧めてきた。そういえば成人してから会うのは初めてだったなと思い一緒にお酒を飲むことにした。僕はあまりお酒が強くないので缶ビールを一本だけ飲むことにした。祖父は昔から決まって飲んでいる芋焼酎を飲んでいる。話は大学の話になった。ちゃんと大学でちゃんと勉強してるか?友達はたくさんできたか?と祖父があまりにも目を輝かせて聞くので思わず大丈夫だよと答えてしまった。本当はもう大学になんて行きたくない。心を本当に許している友達なんて一人もいない。そう言いたかったが祖父の期待を裏切りたくなくてまた嘘をついてしまった。本当のことを言ったところで誰も得しないことはわかっていたがとても胸が痛かった。そしてビールを飲み終わり僕はそろそろ寝るよと祖父に伝え寝室へ向かった。さっき寝たばかりだったので寝られるか心配だったが気づくと寝てしまっていたようでもう朝になっていた。目を覚まそうと庭に出て煙草を吸った。改めて見てもここの庭は本当に綺麗に手入れされている。祖父は昔から庭をいじるのが好きでいつも手入れをしていた。自慢の庭で褒めるといつも喜んでいた。祖母もこの庭がとても好きだったようでよく庭にある机でお茶を飲んでいた。つい最近のことのように色々な記憶を思い出す。忘れていたと思っていた記憶もここに来ると鮮明に蘇ってくる。鮮やかな記憶が今の状況をより辛いものにしているような気がした。
 煙草を吸い終わり部屋に戻ると祖父と母が起きてリビングでテレビを見ていた。おはようと声をかけ椅子に座ると二人は昨日行われていたプロ野球のニュースを見ていた。祖父は昔からソフトバンクホークスのファンであり祖母は読売巨人のファンであったのでよくプロ野球を見ていた。ニュースでは巨人が僅差で負けてしまったという内容が流れている。ソフトバンクは好調のようだったが祖父はなんだか寂しそうな顔をしていた。少ししたところで新幹線の時間もあったので早めにお見舞いへと向かうことにした。
 病院へと向かう車の中では今まで様々なことで頭がいっぱいになっていたのが嘘であったかのように頭の中は空っぽになっていた。何も考えずただただ車を走らせた。病院に到着し祖母のいる病室へと向かった。病室への道はとても長く感じた。さっきまで空っぽになっていた頭に様々なものが入ってくる感覚がした。頭が痛い。頭という出口の無い器に泥が注がれているような感覚だ。その泥を必死に吐き出そうとするが何も出て来ない。しゃがみこみそうになるのを必死に抑えてなんとか病室まで辿り着くことができた。
 病室に入ると祖母が目を瞑って眠りについていた。起こすのは申し訳ないと思ったが祖父が声をかけると目を覚ましたようであった。こちらを見て微笑んだように見えた。やはり声はあまり出ないようであったが昨日よりは唇が動いているようだ。なにを話すわけでもなかったがまるで最後であるかのように僕の姿を目に焼き付けようとしているかのようにじっとこちらを見ていた。相変わらず僕は何も話すことができなかった。すると祖父がプロ野球の話をし始めた。昨日も巨人が勝ったぞ。優勝しそうな勢いだ。一緒にドームまで試合見に行こうな。それを聞いて祖母は嬉しそうな顔をした。きっと巨人が勝っても負けても毎回勝ったと話しているんだろう。これが祖父なりの優しさなんだろうと思った。不器用ではあるがとても暖かい優しさだなと思った。僕のつく自分のための嘘とは全く違うものだなと思った。
 新幹線の時間もありもうそろそろ病院を出ようということになった。最後に僕はまた来るから元気で頑張ってと何度も言った。祖母は笑ってありがとうと言ってくれた。そしてお別れを言い病室を出る時僕の名前を呼ぶ声がした。祖母の声だ。さっきまでほとんど声の出ていなかった祖母が昔のようなしっかりとした声で僕の名前を呼んだ。さようならと涙を流しながら僕に言ってくれた。まるでもう二度と会えない最後の別れのようであった。僕はもう一度祖母の元へ行き手を握ってまた来るからと言ったが祖母は大丈夫だから元気でやりなさいと言った。自然と僕も泣いていた。祖母と僕は涙を流しながら笑ってお別れを言った。そして祖母にもう行きなさいと言われ病室を出た。最後の祖母の顔は寂しそうでもありすっきりしているようでもある何とも言えない顔であった。
 僕と母は祖父に駅まで送ってもらい新幹線に乗った。僕がもっとたくさん会っておけばよかったと言うと母はどんなあなたでも愛してくれる人がいるっていうことを忘れないようにしなさいと言った。その通りだと思った。もう少し素直に生きていきたいと切実に思った。次にここにくる時に少しでも素直に話せる人間に僕はなれるのだろうか。

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