保守的な日本人は変われるのか
日本に二十余年住んでいると、いくつか思うところがある。夜間に出歩いて襲われた事も無いし、電車は大抵時間通りに来るし、ご飯も美味しい。祇園で食べた京懐石は今も舌の上に記憶がある。この国は良い国だ、と胸を張って言葉にできる。だが、良いこと尽くめとはいかない。出る杭は打たれる、皆が同じでなければいけないという考えがはびこっている。日本人の保守的な性と民主主義という政治体制がそれを助長させているのかもしれない。
つい先月、橋本市長が提案していた大阪都構想の国民投票が行われた。このまま大阪が何も変わらず、何も変えられずにいれば、ずるずると負の方向へ歩みを進めて行くのは目に見えているのだが、結果は保守派の勝利だった。
しかし、私はこの事実を通して「あぁ、やっぱり日本人は保守的なんだな」と言う話がしたい訳ではない。橋本市長が日本人の国民性を覆しうる可能性を秘めていたと言う話がしたいのだ。
今回保守派の得票率が多く、結果として否決された。だがその内訳を見てみると、1万票程の差だったのだ。全体の母数は140万票程だったので、その差は微々たるものだったと言っても過言ではない。
彼は日本人が変われる「機会」を与えてくれたのではないだろうか。事実、70万人程の心を動かし、保守的ではなく革新的な選択をさせたのだ。
また、投票をしないと言う保守的な人を動かしてもいる。一般的には20〜30%という投票率だった現状を、66%まで引き上げたのである。
橋本市長は任期を満了したところで、政界から身を引く事を固めているらしい。もう一度、彼のように日本人の保守的な姿勢を打ち破る事が出来る人材が現れるのは、いつになることやら…。
環境4年 71247328
原田 健太