“築地市場の移転”
ぼくは、築地と豊洲のあいだに住んでいます。
なので、ニュースで築地市場の移転について取りあげられるたびに、自分の知り合いがテレビに出ているような、そんなふしぎな高揚をすこしだけ、得られました。
しかし、ニュースで取りあげる内容となれば、お金と、お金をやりくる政治家のことばかりで、税金もろくに払っていないぼくのような貧乏学生には関係のないように思えました。
地元の友達との間でも、築地市場移転問題なんて話にあがることはありません。そもそもあいつもこいつも、ニュースなんて観てないやつらばかりなんです。
そんなぼくも、ひとつだけ、じつは移転に関する思い出があります。
移転日も目の前にせまった秋ぐちのある日のこと。どこから聞いてきたのか、地元の友達のひとりが「おい並木、ターレの行列を見にいこう」とぼくを誘ってきたのです。
「ターレってなんだよ」
「アレだよ、フォークリフトみたいなやつ。明日の深夜、”環二”んとこ通って豊洲に全部引っ越すらしいんだよ。その行列を見にいこう」
そうして“環状二号線”の橋のたもとのところに待ち合わせたのは、10月初旬、深夜というよりもう早朝の、一日のなかでいちばん寒い時間でした。東京湾から吹いてくる風がずっと途切れないで吹いていて、パーカーだけしか着ていなかったぼくはとても寒い思いをしました。しかも、道路が封鎖されていたので、遠くからしか道路を見ることができませんでした。
そして肝心のターレも、何百台も連なるようなことはまったくなく、ぽつりぽつりと、一台ずつ通っていきました。最低限の照明を点けて、とてもちいさな車両で、市場で働くいかついおじさんが寒風にさらされながら運転をしています。
あまりにもショボいその“行列”に、ぼくと友達はすぐに飽きてしまって、各々の築地市場の思い出話を自然とはじめてしまいます。
友達は、中学生の時に当時の仲間たちと自転車で海鮮丼を食べに行って、値段が高すぎるので帰ってきたという話をしました。
それを聞いてぼくは、父親に築地で一番高い店の海鮮丼をおごってもらったという自慢話を友達にしてやりました。(ほんとにおいしかった……!)
そしてその日は、寒かったしつまらなかったので、すぐ帰りました。
それもあって、そして築地市場への思い出もそれなりにあって、ぼくはやっぱり豊洲市場はあまり好きになれません。