『華氏119』
ぼくと同居の父との会話はほとんどない。ぼくが成長してむじゃきに振る舞えなくなるにつれて、だんだんと減っていった。男同士なんて、そんなものだ。
そんな、23歳になったぼくと父の間に最後に残った、唯一の会話がある。平日21時からの45分間。NHKの、『ニュースウォッチ9』の、天気予報がはじまるまで。基本的には二人とも黙りこくって夕食を食べながらテレビを観ているが、政治や経済などのニュースでぼくが分からないことがあると、ぼくが質問して、父がそれに答えてくれる。
父は大きな銀行で部長職をしているような人なので、どんな質問にも適格に答えてくれる。だからぼくも浮かんだ疑問は素直にぶつけるようにしているけれど、ここ何年かはその中でも、アメリカのトランプ大統領に関する質問がとくに多かった。“大統領”の型にはまらない数々の行動や言動に対して、ぼくが疑問に思うことが多くなるからだ。
トランプ大統領はぼくにとってはそういう位置づけの人で、ただの“話のタネ”としての人だった。でも、ある映画を観てから、ぼくはそれ以上の感情を持つようになった。
『華氏119』はマイケル・ムーア監督による、トランプ大統領批判を主軸として米国政治のあり方を見つめ直すドキュメンタリー映画だ。同監督は“アポなし直撃取材”による生の情報を集め、それをコミカルな編集でつなぎ合わせるという手法で映画を作っている。
ショッキングな内容が多かった。集会に参加した黒人男性が壇上のトランプ氏の指示で殴られ、集会を追い出される。政治的画策によって汚染された水道水の被害で病気にかかり、子供が泣いている。トランプ大統領のあり方は、あまりにもハイル・ヒトラーを思わせる……。
文字通りの「対岸の火事」の出来事でも、それはぼくの心を十分に打つ内容だった。そして、ぞっとした。日本にはこうして政治に触れる機会がまったくない。たとえば日本の小さな町が水質汚染に侵されたとしても、ぼくたちは知ることができないのではないか。
そして、その問題のひとつの解決策が、ぼくと父との会話にあるのだと思った。少なくとも、ぼくは父との政治のやり取りを「楽しんで」いる。それは政治を通して、父の個性を受けとめ、さらに知識を得る楽しみに富んだものだ。
『華氏119』のコミカルな演出の裏にあるだろう哲学のように、ぼくたちはもっと政治を「楽しんで」やり取りするべきだ。まるでどちらの女性とお付き合いをするかを品定めするように、友人と政党を選ぶべきなのだ。
その一歩として、まずは『華氏119』で学んだことを、ぼくから父に初めて教えてあげようと思う。