「新潮45」休刊について
福田研究会
2018秋 第1回コラム
青木 輝
「新潮45」は1983年に創刊したが、今年の8月号に掲載された杉田水脈議員による【「LGBT」支援の度がすぎる】が炎上のきっかけとなり10月号を最後に休刊となった。要は、L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャ、T=トランスジェンダーについての記事であるのだが、杉田水脈氏は議員であるにも関わらず“生産性がない”などと主張する内容が差別的だとして世間から批判された。議員という立場を考えるのであればわざわざ批判されるような言葉を選ぶこと自体が間違っているとも思うのだが、「新潮45」も10月号で【そんなにおかしいか『杉田水脈』論文】を掲載したことで我々世間の関心はさらにヒートアップ、結局35年で休刊となってしまった。
テレビ、インターネット、携帯が一般化され誰にでも情報が瞬時に届き、誰でも意見が言えるようになった現代社会において、炎上しない為に様々な注意を払う必要があるのも事実であるが、炎上を恐れ本当のことを意見することができなくなってしまっているこの現状こそ問題であると私は思う。結局議員たちによる国会の答弁もなるべく批判されないような言葉を選び(たまにとんでも無いことを発言する議員もいるが…)、時には質問の答えとは程遠い回答すら飛び交っている。そして、メディアの大好物といえば視聴率が取りやすい議員や有名人の炎上ネタではあるのだが正直、彼等も彼らだ。何かあれば本人、親族、友人知人を1日中引っ掻き回した挙句、ほとぼりが冷めれば何事もなかったかのように引いていく。
使うべきでない言葉を使うことは確かによく無いが、発言の自由がある以上良い・悪いは別にしろ自分の意見を言えるような未来が来ることこそが、お互いを高め合う為には必要なのでは無いだろうか。そんな意見を炎上のネタとしてしまうこの世間の風潮自体がこれから先変わっていくことを私は願っている。