象を撃つ
人間は弱い。権力を手にし、そこにプライドが生まれ、人間は皆弱くなってしまった。誰しもが、「自尊心」という煩わしい荷物無しでは、手持ち無沙汰で足がすくんでしまうのだ。オーウェルが背後に感じた群衆の期待は、彼が静寂のふりをして誤魔化してきた自尊心の傷に塩を塗り、彼の背中にいち人間としてのプライドを叩きつけた。ライフルの引き金を引いたオーウェルも、彼に無言の圧で引き金を引かせた群衆も、皆満たされない心の矛先を象に向けていたのであろう。
小学生の時、無視ごっこという悪質なゲームが流行った時期があった。誰かが決めたターゲットを仲間内全員で無視する。期間は無制限。次のターゲットを誰かが見つけてくるまで続く。今思うと完全ないじめだが、当時は参加者(クラス)全員が、自分がターゲットになるまで全くの無自覚であった。皆がまるでロボットのように、「次はあいつ」と聞いたらその人を無視し、同じ様にそれを他の仲間にも伝えていたのだ。しかし自分がターゲットを一度経験した後は違う。一人ぼっちになった惨めさと、傷ついたプライドを何とかしたいが為に、誰よりも率先して無視を仕切る。ターゲット経験者が過半数を超えた頃には、一度標的になったことのある子が仕切る様になっていた。
一度傷つけられたプライドは、心の色んな所に根を伸ばし、思考回路を自身の方へと制限する。傷つく度に、人はプライドから逃れられなくなり、自分という人間の事で頭がいっぱいになるのだ。オーウェルは英国への憎悪と、ビルマ人への怒りに板挟みにされていたと記しているが、それは全て彼の心が生み出した形であり、怒りや憎しみの隙間に自ら挟まりにいっているのではないだろうか。あの無視ゲームがかなり長期に渡って続いたのも、傷つけられた最初の一人が、小さな頭で必死に自我という沼から自分を救う方法を考えたからであった。苦しい、だのに手放せない。オーウェルの様にひたすらに自分を見つめ、理解しの字に起こすほどに冷静になれたとしても、そこにはまた新たなプライドが生まれるのであろう。