理想の身体を考える
深読みかもしれないが、この理想の身体というタイトルには実はとても深い意味があるのではないかと私は考えた。美術館の視点、神の視点、そしてミケランジェロの視点を知ることでミケランジェロの彫刻を見直したい。
一つめは、主催者の主張である。フェミニストたち(あらゆる体型が美であると言う)に大バッシングをくらいそうだが、昔ながらの美と健康を現代の私たちに問いかけるものだ。外へ出なくても何でも揃うこの時代、今世界の60人に1人が肥満と言われている。アメリカではプラスサイズモデルという枠ができた。美の価値観は変容するが、健康体に美を見出す普遍性を考えさせられた。
二つ目は、毎年NYで行われるファッションの祭典MET GALAでも今年テーマになった「Heavenly Bodies」だ。Heavenly Bodiesを直訳すると天体だが、これはキリスト教の神に司る人達という意味合いもある。神が創った人間はどのようなものか裸の着飾らぬ像は語りかける。
三つ目は、ミケランジェロ自身だ。きっとこの意味合いが一番強い。美術館はミケランジェロの男性美と言うところにとどめたが、彼のつくる女性像は身体が筋肉質なものが多く男性的な印象を受ける。ここにはミケランジェロの性的嗜好が現れているという説が強い。文化復興の時代、ヴァチカンの庇護のおかげでその嗜好を隠す必要はなかったと言うが、普通の人であれば即刻死刑である。ミケランジェロの神聖なる宗教像は果たして皮肉だったのか、心の現れが具現化してしまったのか、今の私たちにはわかりようがない。ただ、どちらにしてもその苦悩は計り知れない。自信を彫刻家と称し、解剖学に基づいてモデルを作らなかったと言う彼のアートは思いがけず想像的要素もある。
男性美・立体美にこだわり続け、自らの性と闘っていた彼の世界は見れば見るほど胸が締め付けられた。