レクイエム

今週の課題はイタリア人作家アントニオ・タブッキの「レクイエム」だった。この作家には、他に「インド夜想曲」や「遠い水平線」という作品がある。私は海外文学をあまり読まない。イタリア文学は初めてだった。書店員に蔵書検索をお願いする時、「タブッキです」と言ったら、小さな紙に「たぶき」と書いていて、共感したくらいだ。それ程に、本といったら日本文学となっている。だから、今回の読書は新鮮さという意味で楽しみだった。

舞台はリスボン。主人公はある詩人と待ち合わせをしている。待ち合わせ時刻は午前0時で、それまでの間、主人公は様々な人々に会っていく事になる。麻薬中毒者や宝くじ売りに始まり、死者である友人タデウシュや恋人イザベル、若き日の父などだ。最後に死んだ詩人と会って、物語は幕を閉じる。

この「死者との会話」をどう捉えるかは解釈において非常に重要だと思う。

タイトルの「レクイエム」は和訳すれば「鎮魂歌」。魂を鎮める物語となる。本来ならば、鎮められる魂は死者のものだ。だが、この物語は違う。この物語で魂を鎮められるのは、まだ生きている主人公である。彼には過去への悔恨があり、それらを解消するために、死者に会う。例えば、タデウシュの遺言の真意、イザベルの自殺した理由、父親に誤った手術をした医師への抗議の仕方。こういう過去を清算し、魂を落ち着かせるために、彼は死者と出会っていく。

唯一異なるのは最後に出会う詩人だ。主人公は彼に対して、「あなたは魔術師だ。だからこそ、こうして僕はここにいる。そして、今日という1日を体験したんです」と言っている。主人公は詩人である彼によって、鎮魂を行うことができたといえるだろう。もっといえば、彼の詩によって想像上で死者に会い、魂を鎮めることができた。タブッキは詩や物語の効用について書きたかったのではないか。

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