万引き家族
万引きを目撃したのはいつ以来だろうか。あれはたしか10歳の頃、友達Aが遊戯王のパックを盗んでいた。僕はその横でたまたま現場を見つけてしまった。彼は僕に見つかっていることには気づいていなかった。それほど緊張していたのかもしれない。Aは盗んだカードで楽しそうに遊んでいた。それが他の友達との繋がりになり今でもよく遊んでいるそうだ。
万引き家族の万引きは洗練された動きで一切の緊張を感じさせずに万引きをしていた。彼らとAの違いは色々あるが特に大きなものはそこに家族とのつながりがあったかどうかだろう。
父親の治、妻の信代、息子の祥太、娘の亜紀、祖母の初枝、そして新しく迎え入れられたりん(じゅり)。彼らは本物の家族ではない。しかし彼らの生活は他の一般家庭よりも明るく、充実したものを感じた。見えない花火を見て音を楽しんだり、盗んだカップラーメンや小さい机を囲んで鍋を食べているシーンなど貧しさを感じるがそれを微塵も感じさせない温かさがあった。
今回リリーフランキーを見た時「そして父になる」を思い出した。彼は過去に同じ監督の映画「そして父になる」でも斉木雄大として父親役を演じていた。「そして父になる」と「万引き家族」では一見貧乏でも子供想いの良い父親というところは変わっていなかった。しかし、たとえ貧しくてもまっとうなやり方で子供を育てようとする雄大と息子に生活のために万引きを教える治とでは天と地ほどの違いがある。雄大の方はしっかり大人としての威厳を感じさせられたが、治は友達感覚のような良くも悪くも現代社会の家族関係のようだった。
そんな万引きをよしとするなんて本来ばかばかしい。だが彼らの生活を見せつけられると自分の常識の方が間違っているのではないかという錯覚に陥ってしまう。この家族は世間一般からみると間違ったことをしているはずだ。しかし、見続けているとどこか筋は通っている気がしてくる。店に置いてある物は盗むのも生活が懸かっていると仕方ないような気がするし、祖母の死体を遺棄したときも「家族の側にいられておばあちゃんも幸せ」という信代の意見も一理あると納得してしまった。
もし僕が万引き家族の一員になったら三日で馴染んでしまうしその後も何の違和感も抱かなかっただろう。たとえそこに血がつながっていなくても、犯罪でしか繋がっていなくても、家がゴミ屋敷だとしても一緒に住みたいと思えてしまう。血の繋がりだけが家族ではないとすれば一体何が真の家族なのか考えさせられる作品だ。