現代社会的ヒーロー生存戦略
現代社会的ヒーロー生存戦略
~「掏摸(すり)」中村文則~
ある種のかっこよさを体現するキャラクターを仮にヒーローと定義するならば、この物語の主人公を含めないわけにはいかない。社会の最底辺に蠢きながら掏摸で生計を立てる、この一見惨めな境遇に対する主人公の処し方は、世を拗ねるのでも諦めて割り切るのでも憎しみを鬱屈させるのでもなく、ただ淡々と精緻である。世界から規定された己の境遇への応報を、男は財布を抜き取る指先の動きに収斂させていく。その姿には美学と呼べる類の要素が確かに感じられる。例えるならば逃れようのない隘路をさらに細く突き詰めていくような、職人のそれだろうか、法律・倫理の程度では、その真摯な美しさを打ち消すことはできない。
これは現代の新たなヒーロー像ではあるまいか、と私は思った。往古来今さまざまなヒーローがいた。彼らはほぼ一方的に定められた運命という不条理に立ち向かう態度によって個性化されていて、超人的能力を用いたり有能な仲間が沢山いたり、盗んだバイクで走りだしたりしていたものだった。そんな彼らの戦略が規定された世界の外側を目指すことによってその立場を獲得しようとするものであるならば、本作の主人公は逆に限界の底を奥に、さらに奥へと潜っていくようなそれである。
痛み、苦み、悲しみ、疑問、怒り、様々な感情を絡むがままに任せて、無心に穴を掘り続けていくようなヒロイズムというのは、虚無的な現代都市にこそ相応しい美学である。いつか底を抜けてあちら側に辿りつくのかどうかは分からない、それでも底へそこへと向かう主人公の姿から、私たちは“それはそういうものだからだ”への対処法を学ぶ。それは決して“つまらない現実のかたちがついてくる”破滅と引き換えのカタルシスではないし、狂った世界の中で王道を選び取るような、極めて真っ当すぎるやり方だ。実は魔法が使えるとかにしといた方が楽に生きられるに決まっているのだから。