代理課題「ガンヂスの水」
5月27日に惜しまれながら終了した横山大観展。見学が間に合わなかった私も終了を惜しむ一人である。
展覧会の何よりの魅力は実物を目の当たりにして作品の持つ生身の空気感を楽しめることにあるというのは重々承知の上で、本稿では、特設サイトを見る中で私の目を引いた一つの作品について触れていきたいと思う。
さて、件の作品というのは、1903年に菱田春草と共にインドへ渡った時の景色を収めたとされる”ガンヂスの水”。今回の展示の目玉である新出作品のうちの一つである。
一見してわかった。この作品は写実を目的としたものではない。
バラナシを訪れたことのある者ならわかるだろう。ガンヂスの川の流れは格別におだやかで大観の画のようなうねりは見られない。画の視点からガンヂスを見下ろせば、沐浴するヒンドゥー教徒たちが目に入るし、対岸には”不浄の地”が浮かぶ。
大観の時代のガンヂスはまだ整備が行われていなかったのでは、とも考えた。しかし、ガートと呼ばれるガンヂス沿いに設けられた階段状の親水施設は18世紀後半にマラーター王国の諸侯などによって建造されたものであり、以降建て替えも行われていない。そのため、大観の見た景色と現在私たちが見ることができるガンヂスの景色はさほど違いがないことが予想できる。
やはり、大観の描いたガンヂスは主観的な表現がなされている。大観は”ガンヂスの水”で何を描きたかったのだろうか。
大観はガンヂスの持つ宗教性を描きたかったのではないかと私は予想する。ヒンドゥー教においてガンヂスは死者のための聖地として扱われている。朦朧体を使って描かれた数多のうねりと木々は、死者たちの魂を表し、夕焼けの赤すぎるほどの赤色は死者を焼く炎を思い起こさせることを目的としているのではないだろうか。
この作品の実物をぜひとも一度目にしてみたかった。
東京での展示はすでに終了してしまったが、京都での展示は7月下旬まで行われている。気になった方は足を運んで見てはいかがだろうか。