若者のお金離れ
若者のお金離れについて
近年若者の意識の低下が指摘がされる中で、2018年5月5日、朝日新聞に福岡県の大学生から『「お金の若者の離れ」現実を知って』という題名でコラムが投稿された。今の日本の若者が置かれている現状はお金が中々手元に残らないような社会構造になっているといった内容で意識の低下という指摘に対して反論する形になった。この主張に対して高須クリニックの高須会長が「甘ったれるな」といった内容でコラムを批判したことから物議をかもす事になったわけだが、以上を踏まえながら私の意見を書いていくこととする。
今の若者は堅実に、将来を憂いてお金を貯め、一部を奨学金の返済に当て、生活費をやりくりする。これはむしろお金に対して感心が高いと言えるし、お金により近づいているという捉え方もできると思う。つまり私が言いたいのは、お金に対する意識はむしろ上がっているのではないだろうかということだ。
それに対して現実は冷たい。お金に対する関心がいくら上がっても統計的に見れば若者の手元にお金は残っていないのが現状だ。これに対する高須会長の猛烈に働けという主張は少し無理があるように思える。今の若者が高須会長世代と比較して猛烈に働いていないという事が感覚ベースでしか指摘されていないからだ。
しかし、大学生の主張である若者の手元にお金が残らない社会構造だが、これには一考の余地がありそうだ。確かに統計的に見ても多くの若者はお金が手元に残らないのは事実なのだろうが、生活水準はどうだろう?インターネットが広がって他人の生活が筒抜けになったこの現代社会では、自分の所得に合った生活ではなく、理想とする他者の生活に合わせようとするのが主流となってはいないだろうか。例えばそれが大学へ進学する事であったり、東京で就職する事であったりだ。もちろん私もその渦に巻き込まれている張本人なのだが、みんながみんな同じ様な生活スタイルを送れるというわけではないのが資本主義社会の現実であり、生活スタイルの共有は構造的矛盾を生んでいるように思える。こんな時代だからこそ私たちに求められるのは個々人が独自の生活スタイルを探求する事であるように思う。