若者のお金ばなれ

朝日新聞のコラムから端を発した「若者のお金ばなれ」問題。かく言うぼくも若者で、そして、お金、いらないっちゃあいらない。くれるなら貰うけど。

なんでいらないかと聞かれたら、それは、みじめだから。お金の無いぼくが、お金がほしいって思うことが自分のプライドを損なってしまうからだ。

自分の手の届かないところに成っているブドウを、「きっとあれは酸っぱいブドウだ」と自分を納得させるキツネの話がイソップ童話にあるけれど、それとおなじ。つまり、本当はお金がほしいけれど、お金なんてくだらないと思いこんで黙っている。黙っているだけじゃなくて、お金を得るような行動もためらってしまう。たぶんそれが、ぼくや、お金ばなれした若者のひとつの実態。

ならば今の若者だけがなぜ、お金をプライドだ何だと特別視するようになったのか。それは、一見よいと思えるような現代の価値観の副作用だと思う。

「それぞれの価値観」「自分らしく生きる」といった、今流行りの言葉で若者は社会から個人単位に分断されつつあるけれど、それは裏を返せば、「自分でプライドを持てない人生はクソだ」と言われているようなもの。大学を出て企業に入って家族を持って家を買って……という人生のロールモデルに僕たちは頼れない。頼れないから、何かを自分のプライドのよりどころに据えないといけなくなってしまった。

お金ははっきりと数字になってしまうから、自分が直接的につきつけられる指標となってしまう。逃げ場のないその数字を、自分のプライドのよりどころとするリスクに若者はびびっているのだ。だから、「お金ばなれ」してしまう。さいわい、お金をいらないと強がれる価値観は現代にあふれている。拝金主義論、QOL、幸福やしあわせという言葉。利用しようとすれば愛や友や家族なんかも武器にできる。

高須クリニックの院長である高須氏はtwitter上で「若者のお金ばなれ」問題を『甘ったれ』として一蹴した。お金に対する若者のおびえはある意味で『甘ったれ』であるのだけれど、若者の『甘ったれ』くらい許容できるくらいの社会を、少なくともぼくの後輩たちには『プレゼント』したいとは思う。

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