お金の若者離れ
「お金の若者離れ」はつい先日、20歳の大学生が執筆し、新聞掲載されたコラムだ。高須先生が昭和の根性論で反論し、炎上したことも記憶に新しいだろう。コラムでは、「○○の若者離れ」の根源には「お金の若者離れ」があるという風に論じられている。彼の理屈に私は21歳の大学生として、大いに共感する。
件のコラムで語られている事とも重複しながらも、自分の論を述べていく事としよう。
まず若者は、少ない収入の中から、奨学金、家賃、光熱費、そして奨学金返済に追われながら、生きている。確かにそうである。しかも、年金を受給できるかわからないし、年寄りを若者が支える社会構造は刻一刻と深刻化している。社会自体が若者に対して金銭的に逆風なのである。老人が増える一方であるが、老人はお金を使わない。そうなると若者に回るお金が少ない、こちらも一理あるだろう。
しかし、「金銭的に苦しい立場に置かれているから」という話だけで語られるべき問題でもないと私は思う。
高須先生は、「もっとハングリー精神を持て!」という。確かに昔の若者には今の若者より野心があったのかもしれない。昔の若者の方が、「より良い生活をしたい」と思って頑張っていたのかもしれない。しかしながら、それは無理もない事だと私は思う。
今の時代を見ると、安くてもそれなりに高品質なものが揃ってしまうし、ファッションや生活スタイルも多様化し、高い安いの優劣で判断することは不毛な話となってしまっている。極端にいうと、スマートフォンさえあれば、なんだってできてしまうのである。こういった環境では「足りない」という感覚にはならないのである。
ただ困窮しているという視点だけでは語れない、社会の変化もそこにはあると、そう思う。