ウィステリアと3人の女たち

これは夢なんだと分かりながら夢を見ることがある。

眠りが浅くなるからだろうか、ちょうどお酒を飲んだ翌朝なんかに多い。

夢自体を一人称視点で動く自分と、夢を三人称視点で見ながら「そろそろ起きようかな」と考えている自分が共存したまま長い長い眠りが続く。

明晰夢といって、レム睡眠時に起こるらしいがそんなことはどうでもいい。

『ウィステリアと3人の女たち』この物語は、そんな夢に似ていた。

物語の主人公は、結婚して9年の主婦。不妊治療について夫とすれ違い、冷めきった夫婦生活を過ごしている主人公はある日、奇妙な女と出会う。女は、空き家に忍び込みその中でじっと過ごすという奇行を行っているらしい。週末、主人公は導かれるかのように解体中の隣家に忍び込む。右も左も分からない真っ暗な部屋の中を進む。そして、辿り着いた一つの部屋で、表題であるウィステリアについての長い長い空想を繰り広げる。

空想は、読者への予告なしに唐突に始まる。2,3ページに渡って老女の若い頃の一時を想像するだけだと思っていたが、長い。老女の空想はまだまだ続く。はじめは『この子供達の中に、老女の子供はいたのだろうか。いない気がする。』のように、これが主人公の空想であることが明確に示されていたが、徐々に空想についての記述は断定の形をとるようになる。このあたりから読者である私は、いつのまにかページを飛ばして他の短編が始まってしまったのはないかと心配になる。ページ左下の短編名とにらめっこしてこれがあくまで主人公の空想であることを確認しながら、ウィステリアの一生を読み進めていく。そして、ウィステリアは最期を遂げ、読者はこれがやはり主人公の空想であったことを知らされる。

ウィステリアの喪失の空想は、主人公の思い描いていた暮らしへの喪失感に起因するものだと気づかされる。しかし、そんなことよりも神秘的な読後感に気が惹かれるのは、作者による空想への導入の拘りによるものだろう。

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