ウィステリアと三人の女たち 遅れてごめんなさい
この小説では全編を通して他者との心の距離のとり方の難しさのことを考えさせられた。登場する夫婦は、とてもリアルであった。結婚して9年目になるが、なかなか子供を授かることができない。ある日、妻は不妊治療をしてみないかと夫に相談する。それを聞いた時の夫の嫌悪の表情と妻の心の痛みの表現は絶妙で、まるで自分が体験したかのように感じた。
夫の、自然に子供が産まれなければそれはそれで受け止めようという意見も分かるが、度々描写される、妻の気持ちに寄り添わない身勝手な態度には嫌悪感を感じた。しかし9年間一緒に生きてきた夫婦は、こんな関係性になることも不思議ではないと思う。私も長年一緒にいる妹などに、時おり身勝手な発言をしてしまうことを思い起こし反省した。小説内における他人のこととして考えると、なんてひどい人なんだと感じるのに、自分のこととして考えると決してありえない状況ではないと思えてきて、それが恐ろしかった。
夫との通じ合えないやり取りの後、夫の留守中に妻は工事中の隣の家に立ち入り、そこで暮らしていた老女の人生のことを想像する。私にはその部分が何を意味しているのか理解できなかった。本の帯には「人生のエピファニーを鮮やかに掬いあげる著者の最高傑作」とあった。エピファニーの意味を知らなかったので辞書で調べてみると「平凡な出来事の中にその事柄・人物などの本質が姿を現す瞬間を象徴的に描写すること。 」とある。この文から、妻は、女性を愛したため子供を授かれなかった老女ウィステリアを、子供をつくれない自分の象徴として想像していたのではないかと思えた。妻の想像の中でウィステリアは外国人教師を必要としていたが、外国人教師はウィステリアから離れていき、死んでしまった。
藤の花びらに覆われた姿で家に帰った妻に、夫は恐怖を覚えているように読み取れる。人は、相手の考えていることが分からないとき恐怖を感じると思う。妻が隣の家に行ったことによりさらに心が遠くなってしまったこの夫婦は、この後どうなってしまうのだろうか。