ラブレス
ラブレス
クリスチャニアという独立自治区を訪れたことがある。正確には”自称”独立自治区であり、デンマークはコペンハーゲンの東部に存在する。平和の二文字がそのまま形になったようなクリスチャニアのそこかしこにペイントされていたフレーズ「Capitalism kills love」。映画を見ている時、私の頭にはこのフレーズが頭を離れなかった。
古くないものを古いと消費者に思い込ませて、新しいものを買わせることで経済を回す。そんな資本主義の原則の元に生まれた私たちには、いつも間にか、ふたつの性質が備え付けられている。自らの退屈に気づかないために、娯楽という名の新しい刺激を求めようとすること。上質だが手に入りにくい刺激より、質が悪くとも新しい刺激を次から次へと求めようとすること。
その意味で、ボリスとジェーニャは資本主義の優等生だったのではないだろうか。あの夫婦の人生とは、安かろう悪かろうの刺激を次々と積み重ねるものであったように思う。加速する消費活動の中で、彼らは真実の愛と間違えて、一見愛に見えるだけ安い刺激に手を伸ばしてしまった。彼らにとっては、セックスも、SNSにあげたセルフィーにリアクションが起こることも、親元を去り誰かと共に過ごすことも、子を作ることも、さらには、その子を失ったことでさえ、全て等しく、その一瞬感情を揺さぶるだけの小さな刺激にすぎなかったように私の目には映った。
あの夫婦を咎めることは簡単だろう。しかし、我々の誰しもが彼らのようなモンスターとなり、彼らのような人生を積み重ねる可能性はある。非難すべきは、安きにも節操なく手を伸ばす私たちの中に眠る「刺激への飢え」なのではないだろうか。資本主義に殺されてしまった愛を取りこぼさないためにも、刺激を選ぶ姿勢をもう一度見直したい。