季節外れの転校生とフィクション、その日まで
「男前はつらい」というのは本当の話で、男前には男前であるがゆえにつらいことがある。もちろん、男前だけじゃなくてブサイクにもブサイクであるがゆえの、男前とは違ったつらいことがあるんだからままならない。男前には男前なりのつらさがある以上、ブサイクは男前になれば全て解決! 俺の人生エブリシングイズオウケーというわけにはいかないというわけだ。
それは頭がいいからといって幸せになれるというわけじゃないのにも似ているし、優しさが全てを救うわけでもないことに似ている。「じゃあ普通ならいいだろ」というわけでもなく、もちろん普通には普通なりのつらいことがあって、普通であることを苦にして自殺してしまう奴だっている。そして、そのせいで男前で頭がよくて優しい完璧超人が苦しんだり、つらくなったりもして、そいつが俺の友人なので、事件とあんまり関係ない俺が面倒に巻き込まれたりもするわけだ。
吉沢亜衣は季節外れの転校生だったけれど、季節外れ転校生に必要な個性的なキャラクターも持っていなかったし、興味深いバックグラウンドも持っていなくて、料理人の父親が変なタイミングで店を持たせてもらえることになったので、季節外れの転校生になってしまったというだけだった。
でも俺たち21世紀日本の男子高校生は漫画やアニメの影響で季節外れの転校生というものに過剰な期待をしてしまう。馬鹿らしいとは思いながらも、季節外れの転校生が鍵になって、非日常の扉が開かれるんじゃないかと心の片隅で思っている。しかも、それが異性ときたら、俺が主人公なら彼女はヒロインで、あとは大体決まりきった展開をくぐり抜ければ彼女は自分の彼女になってくれるはずだなんて思ってる。しかも吉沢はブッチギリにというわけではなかったけれど、結構カワイイ方だったから始末に悪い。
あまりに多くの決まりきった作品に出会ってしまったせいで、男子高校生の頭は「季節外れの転校生=物語の始まり」みたいな感じで自動的にそういう妄想をしてしまう。世の中のフィクションがもうちょっと非類型的で、オリジナリティにあふれていたら、俺達はもっと多様な想像を働かせることができたことは確実で、そうしたら、吉沢亜衣への物語的であることを強制するような少年マンガ的視線はなくなって、もしかしたら吉沢亜衣は死ななかったかもしれない。
というより少年マンガ的な視線があったとしても、少女マンガ家達やガールズマガジンの編集者達が艱難辛苦を乗り越えてイケメンとつき合う以外のビルディングスストーリーをもっと流行らせることができたなら、あるいは吉沢は告白せずにすんだかもしれないし、フラれたからといって自殺せずにすんだのかもしれない。別にイケメンとつき合う以外にも楽しいことなんていくらでもあるのだ。
だから、ある意味ではクラスの男連中、そしてフィクションが吉沢の自殺の原因の一つあるわけで、いくら遺書に名前が出てきたからって、中島十三だけが責任を感じるのは間違っているわけだ。
吉沢と十三を出会わせたのは我らが担任だけど、だからといって先生を責めるのはお門違いだっていうことをみんな知っている。十三の隣に吉沢を座らせなくても、吉沢に「わからないことがあったらそこの中島に聞け」なんて言わなくても、吉沢はアヒルのなかから白鳥を見つけ出すように十三を見つけただろうし、十三は吉沢が困っていたら誰よりも早く駆けつけて吉沢を助けていただろう。中島十三というのはそういう奴なのだ。
俺たちは中島十三以上の男前を見たことがない。十三はちょっと非現実的なまでに美しい顔立ちをしていて、あいつに対して「イケメン」とか「男前」とか言うと、その形容詞の俗っぽさにちょっとイライラするぐらいだ。だから俺達はあいつを「美しい」とか「尊い」とか言う。
しかも十三はその顔立ちと同じように性格も尊い。あいつは誰とでも仲良くなるし、困ってる奴は誰でも助ける。気も回るし、押し付けがましいところもない。よく笑って、その笑顔は殺人的に魅力的だ。多分、こいつ以上に季節外れの転校生の隣の席にふさわしい奴はいないんじゃないだろうか。少女マンガから出てきたような男が隣にいたんだから、「私、少女マンガのヒロインなのかも」なんて吉沢亜衣が壮絶勘違いをしたって不思議はない。気がつかないうちに取り返しのつかないところまで進行している病気のように、フィクションは我々の頭の構造をつくり変えている。少女マンガから出てきたようなイケメンの隣=少女マンガのヒロインという短絡的な思考回路がいつのまにやらできあがっているものなのだ。
もちろん、フィクションだって全てフィクションで構成されているわけではない、というか、基本的には現実的なもので構成されていて、山場のどんでん返しだったり、ラストのラストのハッピーエンドのところだったりでウソが行われる。どこでどんなウソをつくかがフィクションをつくる側の腕の見せどころで、彼らは最高のウソをみせるために部分部分をそれっぽく、ときには現実よりも現実感をもたせてつくる。
そこんところをわかっていない吉沢はトントン拍子で十三との距離が縮まっていくことを、ロマンチックな運命の証左みたいに感じていた。でも本当は、たまたまフィクションによく出てくるシーンだっていうだけで、必ずしもドラマチックな恋愛には続いていかないし、むしろそんな風につながることはめったにないのだ。
十三は本当は誰にでも優しくて、素敵な笑顔を振りまいてしまう奴で、だから、入学してすぐとか進級してすぐぐらいの時には麻疹が流行するみたいに全ての女子が十三に惚れている。十三の近くにいると本当に全ての女の子が惚れてしまうのでびっくりする。びっくりするだけならばいいけど、面倒に巻き込まれたりもする。
恋愛なんて馬鹿らしいとか考えている天邪鬼きどり女の子も惚れてしまうし、私にとって十三くんは遠くから愛でるものでむしろ私の存在を消して素敵な十三くんをずっと見ていたいとか言ってきたオタクっぽい女の子も1ヶ月後には俺に泣きながら恋愛相談をしてくる。
だから、吉沢の反応はその他大勢の女の子達と変わらなくて、そういうのを飽きるほど見てきた俺達は生ぬるい目線で見ていたけど、これが良くなかった。重大なことを見落としていたのだ。それは彼女が季節外れの女子高生だということだった。
他の女子達は同時期に十三を好きになるので、つば競り合いがあったり、周りの女子達がフラれていくのを見て冷静になったり、フラれた後にフラれた奴同士で傷口を舐め合ったりと「十三にフラれた奴セーフティネット」あるいは「十三にフラれた奴互助委員会」的なものをつくっていたのだが吉沢は季節外れの転校生だったので、たった1人で惚れてたった1人でフラれてしまった。その恋にブレーキはついていないくて、あるのは少女マンガエンジンと物語を求める馬鹿な高校生ブースターだけで、そこを爆走して吉沢は壁に激突、木っ端微塵となった。
(季節外れの転校生とフィクション、その日に続く)