2017年で最も印象に残った芸術:舞台「足跡姫~時代錯誤冬幽霊」

2017年で最も印象に残った芸術:肉体の芸術

舞台「足跡姫~時代錯誤冬幽霊」

東京芸術劇場

野田秀樹作・演出

 

脚を踏みしだき、前方を見る。手が振り仰ぎ、囃子がなる。

たおやかに、身体がしなる。妖精の死。

人間の肉体を使った芸術は何百年も昔から続いているのに、同じ肉体を使用し続けることは決してない。幼いころから鍛錬を重ね、「選ばれた」人間は肉体の芸術にその身を捧げ、何も残すことなく死んでいく。

 

その、残ることの無い形態の芸術を描いた作品に出合った。その作品が、2017年私の心をえぐった舞台「足跡姫~時代錯誤冬幽霊」である。著名な劇作家である野田秀樹が亡くなった中村勘三郎へのオマージュとして書いた作品であるという。作中主人公の出雲の阿国は幽霊に乗っ取られ舞を踊りだす。幽霊は何者かはわからない。古の何かわからぬ物の怪のような幽霊。その幽霊が阿国の身体を取り、踊ろうとするのだ。

作品自体は歴史的なものも絡んだ練ったものだが、その全てに通ずるものがある。それは「身体」だ。「身体」を使って人や「何者か」は自分の想いを訴え、いつかその訴えが残れば、と願う。

中村勘三郎が亡くなった際、その葬儀で坂東三津五郎は「肉体の芸術ってつらいね、死んだら何も残らないんだもの」といったという。肉体の芸術は残らない残らないけれども、その形や想いは残ることができるのだろうか。名を代々継いでいく歌舞伎は個人から個人に名前を継いでしまえば、その「個」は歴史から消えてしまう。古くから伝わる演目の役者名は誰が演じても、どのように演じてもずっと変わることはない。歴史の脈絡の中で個が滅されてしまう芸術の中で、個はどのように生きていくものなのだろうか。

肉体の芸術は歴史を伴うその「型」があるからこそ、貴重で美しい。けれど主役であるはずの肉体は没している。主役の肉体は無名の肉体である。

舞台の最後を覆った、美しい桜の花びらが今も脳裡に蘇っている。

 

 

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