ファッションブランドの紹介
夏の夕暮れ、鵠沼の砂浜を焦げた肌の男が歩いていった。
厚みよく発達した広背筋と僧帽筋、焦げた太く逞しい腕がしなやかにのびる。下に目をうつせばかく張った太腿と盛り上がったふくらはぎが男らしい曲線を描いている。三角筋に触発されよく張った白のTシャツ。こんがりとした首筋が白に映える。かっこいい、そんな言葉がまずこぼれた。それは大人のかっこよさ、そう思った。それから、その背にはどこか懐かしい、見慣れたロゴがみえた——
「PIKO」
その四文字の連なりは、その独特の紋様は、激烈な記憶の連鎖を引き起こし、筆者を十五年以上も前の小学校の教室へと連れ去る。
ブランドは1994年、ハワイで生まれた。
PIKO、それは、ハワイ語で『ヘソ』の意。「ヘソはすべての生命の根源であり、古来ハワイアンはそこに万物の魂が宿ると信じている。」そんなコンセプトのもと異国の地で生まれ落ちたブランドは、日本主体に販売され、ゼロ年代、サーフファッションの流行とともに21世紀の初頭をはなやかに彩るように売れた。生産は追いつかなかった。いかしたロゴマーク、手ごろな価格。親世代に広がった流行は時同じくして、子どもたちにも現れていた。
クラスのイケてる子たちはもちろんのこと、男の子でも女の子でも皆が「PIKO」を着ていた。何かあって「PIKO」を着ている子たちが皆でいっせいに学校を欠席でもするようものなら、学級閉鎖どころの騒ぎではないだろうというぐらいにはいた。インフルエンザなんかよりももっとずっと流行っていたのである。ところが子どもたちは「PIKO」を着たままには成長しなかった。当時の子どもたちが歳を重ねたいま「PIKO」は、ゼロ年代とは違った意味合いをもって世間に認知されるようになっている。
「ああ、子どものとき着てた。今でもダサい人が着ているよね」「みんな着てたよね。だっさいよねあれ」「わかる、わかる。大学生ぐらいでさ、お母さんに買ってきてもらったのかな」そんな声がどこからか聴こえてきて、そして大きな笑い声が響く。乱雑に脱ぎ捨てられて、押し入れの奥にしまい込まれるか、ゴミも同然にぐちゃぐちゃに床に落ちて、ダサいと罵られる。「PIKO」は、今や「ダサい」服の代名詞となってしまっているのだ。
ここでいうところの「ダサい」と何なのだろうか。
それは皆が着ていたから。服とは個性を出すために着るものである、他人との差異化のために用いられるものである、と近代的な個人は考えるようだ。それで、周りと一緒なんて嫌だと、それまで着ていた服を簡単に脱ぎ捨ててしまう。そしてまた別の流行りの服に袖を通すのだろう。そうして取り残された集団に対して投げかける。そんな言葉が「ダサい」だった。
それは近代的な個人の性格を適切に表していながら、一方で近代的な個人がとるべき仕草として、不適当であることは誰の目にも明らかである。他人との差異を執拗に追求しながら、結局のところまた別の流行(それは選択ではなく押し付けられるところの)にのることでそれを達成しようとする。永久に満たされることのない〈自己〉の表出——。それは、子どもの仕草である。幼稚な子どもの仕草である。そんな子どもの仕草の蔓延は、現代における様々な問題すら引き起こしている。私たちは今、子どもの仕草こそを脱ぎ捨てて、大人の仕草を身につけなればならないのだ。しかもそれは、大人になって〈しまった〉という見せかけの大人ではなく、本物の成熟した〈大人〉の仕草でなければいけない。では成熟した大人とはなにか、成熟した大人の仕草とはなにか。筆者は、少々手荒い仕方で、それを断言する。
——成熟した大人とは、もういちど「PIKO」に袖を通した者たちのことである。成熟した大人の仕草とは、脱ぎ捨ててきた服をしっかりとその手に拾いあげ、さっとアイロンをかけてから着てみせて、颯爽と風をきるように出かけられる。自らの独立した選択と、屹然とした判断によって、衣服を身にまとうことができる。過去と未来、そして今、万物の魂の声を背に宿しながら、それでも個人は、どこまでも個人であるという自覚的な立ち姿を流動的な世界のなかで堅持できる。そんな仕草をさして言うのだ。
もう一度言う。「PIKO」を着られるのは成熟した大人の証である。成熟した人間の証である。かっこよさ、なんてものはそこからのみ生まれるのである。
ちなみに、「PIKO」は2016年10月21日に公式通販サイトもオープンしている。メンズとレディースで合わせて70点ほどの商品が並ぶ。郊外店型店舗での販売を主軸に置いてきたため不況による店舗の閉店で、販路の断絶に悩みながらも、ブランドは進化を続けている。この記事を読み通すことのできた、成熟した大人を自認する諸君に購入しないという選択肢が果たして残されているのだろうか。そんな風に筆者は最後になって子どもの仕草を露見した。あなたは筆者の言葉とは関係なく選択する。「PIKO」はそんな成熟した大人のみを待っている。〈終〉