R帝国

R帝国

川中萌

この本を読み始めて私はすぐに「1984年」を思い出した。王道のSF小説「1984年」。

―ああそうか。SF小説かこれは、と気づいてため息をつく。私はSF小説が嫌いだ。オーウェンの「1984年」、ウェルズの「宇宙戦争」などは読んだことがあるが全く苦手だ。なんだかついていけないし、ついて行きたくないのだ。ファンタジーのように完全に異なる内容ならともかく、現代と創造の境目が中途半端なのが嫌だ。なんだか嫌だ。そして怖い。

しかし仕方ないのでとかく読む。語り口調はなかなかうまく、読みやすい。流石人気の作家だけある。中身は近未来のR帝国という国の話だ。(おそらく近未来の日本という設定だ)ある日突然隣国に攻撃され、戦争になるが実はその戦争はR帝国の実質の独裁党の幹部の仕業であった。それに対してある男女がクーデターを起こそうとする。しかしIT社会で快楽のみを求める国民にはクーデターが受け入れられず失敗してしまう。国際、国内社会への皮肉と警鐘が話全体にちりばめられている。

まあ面白いのかもしれないが私はやはりなじめない。そもそも「1984年」に話の内容がそっくりじゃないか。確かジョージオーウェンは風刺小説が得意だ。「1984年」では彼はSF小説という形をとることを通して「社会主義」の風刺をしている。完全監視の社会主義社会である国の中で男女が社会主義社会を抜け出そうと奔走する。反政府地下組織が存在すると知り、接触するがその組織は政府が作ったもので、反逆心をもった者をあぶりだすものだった。結局男女は洗脳され、もとの社会主義社会に戻っていく。「1984年」の風刺対象は「社会主義」で「R帝国」の風刺対象は「日本の現状」であると考えると、両者は風刺対象は違えどなかなか似通ってはいまいか。

「1984年」が出版された当時、アメリカとソ連は冷戦時代であり、アメリカ国内では社会主義批判が甚だしかったという。SF小説として社会主義を風刺する「1984年」はいわゆる「流行り小説」であったのだ。「風刺」をする小説や絵というものはその時代にのみ生き、本来の価値を発揮する。そして作品として優れていれば歴史や芸術として生きる。R帝国もSFを通して風刺を行った作品であればいつか日本の歴史として残るのかもしれない。

 

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