『オトナ帝国』
『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』
必死に走ってきた。その足がとまってしまったとき、そこにあったのは夢中に走っていたときには気のつかなかった来し方から流れくる懐かしいにおいだった。彼らの見た「大人」とはそんな風に立ちどまる人々のことであった。それがオトナ帝国、イエスタデイ・ワンス・モアが最初にみた光景である。
映画は2001年4月21日、21世紀の始まるを告げるかのように公開された。人気アニメクレヨンしんちゃんシリーズの9作目。お馴染みの野原一家が、「20世紀のにおい」によって大人を幼児退行させることで「古き良き昭和」を再現しようというオトナ帝国の野望を打ち砕こうという物語である。
イエスタデイ・ワンス・モアのリーダー・ケンは言う。「時間は逆戻りを始め、もう進むことはない。君たちの未来は消えたんだ」と。「最近走ってなかったな」と。彼らはある一点まで走ってきて、立ちどまらざるを得なかった。その一点から、彼らは懐かしき20世紀を惜しみ、振り返りつづける。その一点とはなんであったのだろう。必死に走ってきた彼らが、立ち止まらざるを得なかった一点。それは、家族、愛する人々の存在ではなかったか。父・野原ひろしはケンに向かって叫んだ「家族と一緒に未来を生きる」。野原一家は走る。汗を流し、血を流し、家族で助け合って。家族、愛する人々とともにどんなことでも乗り越えていくのだという強い意志を宿した、この言葉、この行動そのものが〈オトナ〉帝国、イエスタデイ・ワンス・モアの基本構造を根本から突き崩すものになり得たのだった。
話しの筋はざっとこんなものである。しかし考えなければならないのは、ここからである。それは物語の最後の場面での挿入歌。よしだたくろうの『今日までそして明日から』について。1971年7月21日にリリース。昭和の真っ只中。戦後の日本で人々が一番「走っていた」と言われる時代。高度経済成長期。その歌は、同時代このように評された。
「時にはだれかの力をかりて。今日まで生きてみました、なんてさっぱり分からない。若者のちょっぴりした感慨を並べただけじゃないか、という気がする。(中略)フォークの持つ風刺やユーモアが欠けている」(読売新聞・大沼正評)
同時代にこのように評されたその歌が、その評価とは裏腹にある可能性をはらんでいたことに注目したい。
「わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと」
多くの人々が血眼になって立ちどまることもせず走り回っていた昭和という時代に、その時代のなかをまたひたむきに走っていた一人のシンガーによって生み出されたこの歌が、すでにその時代の立ち止まりを予見しいていたこと。そして、その立ち止まったところから再び歩き出そうという力を内包していたこと。あの20世紀のにおいの中に、すでにその先の道筋が示されていたこと。
我々の生きる21世紀は果たしてどうであろう。
21世紀の初めにこのような映画がつくられてことに私は希望を見出したい。それがどんな小さな希望であろうとも。20世紀を生きてきた人々の道筋の先に我々の時代があるのだと考えるならば、この映画は21世の初めにこそ作られねばならなかったのだし、作られたのだろう。21世紀のにおいはここからつくられはじめたのかもしれない。
我々は、走りだし、走り続けなければならない。
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも。風の日も、雨の日も、晴れわたった空の下でも。いつか立ち止まらざる得ないとき、明るい光が射しこむように。走り続ける中に、我々は未来への道筋を見出し、そしてその未来を生み出し続けなければならないのだ。たとえ、どんな苦難にさらされようとも。