「醜」

いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん・・・
「これで四十万かぁ」
自分にはとうてい払えない金額に溜息が出る。何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない。そう考え始めると、生まれながらにして、たくさんの富や美点を持っている人間が憎らしくて仕方ない。『天は二物を与えず』なんて薄っぺらな平等を謳った言葉を、この世に生み出した奴さえ腹立たしい。
カタカタとキーボードをはじく指が止まらない。まるで己の欲望に比例するかの様に、広大な情報の海へと潜り込む。何を探しているのか自分でもよく分からなかった。

四月二日木曜日午後10時。歓迎会シーズンとあって新宿は平日でも賑やかだ。ふらふらと歩く浮かれた人達の間を足早に通りすぎる。歌舞伎町のメインストリートは、道路が舗装され、新しい電灯が並び、大きな映画館が建って、すっきりとした綺麗な街になった。それが私には鬱陶しくて仕方がなかった、行きつけのセットサロンで髪をセットしてもらいながら、メイクをする。それから、怪しげなビルの一角に入り、また怪しげで、重い扉を開けると、そこにはギラギラとした装飾と爆音の音楽が流れる異空間が広がっている。
「いらっしゃいませー!」
大声で迎え入れられ席へ座る。店内はたくさんの女性でほぼ満席状態。「ほんと変わったな」なんて事を思いながら席に着く。最近街中ではあまり見かけなくなった、派手な服やアクセサリーに、大きく盛ったヘアスタイルの、言わば時代遅れな若者が隣に座る。ここはホストクラブ。私にとって、誰かにはまっているわけでもないのに、暇になるとなぜだか来てしまう場所だった。まだまだ景気の良くないこの業界、客の平均単価は一日五万円。かなり太っ腹な客でも一日三十使えば良い方だ。そんな場所でも、お金のない私はせいぜい三万使えば良い方だった。ここへ来る理由は、話し相手が欲しいから。なんて思っていたが、ここへ来て心から楽しいと思ったことはない。友達の数も少なくない私にとって、その理由は嘘である事に気づいてしまったのだ。
優越感。
これだけだった。昼職の女性が平日の夜に飲むだろうか?最近、この業界はターゲットをお金のある女性、すなわち水商売の女性に絞っているため、世間が浮かれる華金などは無視し、女性らの忙しい金曜は定休日で、平日にがっつり営業する様になっている。ここへ来る人のほとんどが水商売の女性か、お金持ちのおばさんというわけだ。未だ世間的に善しとされない職業の人たちが、大金を使ってやっと男性に優しくしてもらっている姿を見るのが堪らなく楽しいのだ。こんな場所に来る女性なんて、自分より外見が明らかに劣る人、かなり太っている人、時代遅れのファッションセンスや小汚いヘアスタイルの人など、世間の男性に相手をされないから来ている様な人ばかり。そんな人たちが多く集うこの場所で、自分はまだ「マシ」だと思うためにここへ来る。
私は、自分に自信が欲しかったのだ。
醜形恐怖症。
二年前に美容外科で言われた言葉だった。正しくは身体醜形障害。極度の低い自己価値観に関連して、自分の身体や美醜に極度にこだわる症状を指す、心の病の様なもの。
「あなたは醜形恐怖症です。」
そう言われた時、なんだか笑えてしまった。だって、自分を醜いと思い込んでいるのではなく、本当に醜いという事実があるのだから恐怖症等ではないと。
毎日美容外科のサイトを見ては、手術内容や料金を眺めるのが日課。しかし、手術の怖さとそれ以上に、両親や、友人にバレるのが怖かった。プチ整形が流行っているが、他人が見て、さほど変わらないのであれば意味がなく、そんな微量の変化に大金をつぎ込める余裕がなかった。前向きな時は、他人はそんなに私の事を見てないし、芸能人でもなく、友達だって恋人だっているんだから、気にする事はない、と思えるのだが、寂しさを感じる夜や、一人になった時、自己否定の念が恐ろしく湧き上がる。私はどうにも出来ない醜い人間、いっそ死んでしまいたい、と思う日は少なくなかった。
 今でも美容外科のサイトを比較し、口コミを検索したり、整形のリスクについての記事、整形についての一般的な意見などを読み漁ったりする癖は治らない。きっと、もし私が大金持ちだったら、既に整形サイボーグと化していただろう。私の外見は、何一つ満足いく点はないが、それを隠す様にメイクをし、髪を綺麗にして、素敵な洋服を着るのだ。そしてまた、あの場所へ向かうのだ。あの街は、どんな人間でも受け入れてくれる闇深い場所。この街にいると、自分の悩みなど小さくてつまらないと実感させられる。今日もあの街の、あの店に来る、自分よりも『格下」の女たちを観察する事で心を潤し、張り付いた笑顔を浮かべる。心の隙間を作らない様に、必死で必死で、寂しさを埋める。そして、くだらなさすぎる優越感を持つ事で、私は生きていても良いんだ、って思うために、早く正面を見て人と話し、道を歩けるように、私はまだこの遊びから抜け出せないでいるのだと思う。
 寂しがりやで弱い人間の、気持ち悪く、醜い楽しみ。私という人間は外見も内面も腐っていて醜い。午前五時の歌舞伎町は、仕事終わりの疲れ切ったホストやキャバ嬢、いかにもオール空けの若者、厚化粧がどろどろに崩れた顔面をマスクで隠す女の子、そんな人たちで溢れている。みんな、みんなクズだ。その一員として歩いている事が、今の私にとっては心地良い。早足で、駅を目指し家に帰る。辺りが明るくなる前に。

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