運慶展

運慶は一般にリアリズムを日本の仏像界に持ち込んだとされている。

遣唐使廃止以降のポスト中国的土壌によって「日本的」で柔らかく穏和な印象の定朝様はある種の到達点を迎え、それらは平安貴族のノーブル(あるいはスノッブ)な美的感覚に広く受け入れられた。対して運慶は、雄々しく、力強い、そして写実的な身体性によるダイナミズムが武士的感性に符号したとされているのである。

四天王立像の増長天(持国天)などを見てみると、空間を切り裂かんばかりに透徹した刀の動線や、空気をも描き出すように揺れる衣の末端、躍動的に盛り上がりつつも繊細な機微を宿した肉叢など、息を飲むほどの迫力で、圧倒的に「かっこいい」。その格好良さはナルトやらガンツやら現代の漫画にまでダイレクトに影響を与える程だ。

しかし運慶が革命的に、それ以前の様式から完全に独立してダイナミズムを獲得したと見るのは誤りで、根立研介は運慶(に限らず広く奈良仏師)による、奈良時代から平安初期の「古典学習」が強い影響を及ぼしていると指摘している。

確かに初期の大日如来坐像などは体のラインや衣文に写実性が見られるものの平安優美な雰囲気を多分に残しているし、後期の無著・世親立像でさえも、その顔のパーツがやや中央に寄って「ぼやけた」ような印象を与える輪郭には(あくまで個人的にだが)定朝様的な幽玄さ、「曖昧な距離感」を感じる。

舞踊における静と動のコントラストのように、運慶作品の圧倒的な迫力とダイナミズムにおいても、静的な、不確実性のような、彼岸的な曖昧さが、物体として強固な存在感を放つ像に薄く繊細なヴェールのようにかかり、その静謐な深みと荘厳さ増していると言えるだろう。

重源上人坐像を見てみれば、仔細な表現はグロテスクなまでにリアルである。しかし同時に、風化したような求心力のなさというか、大らかな綻びのようなものをそこに見て取ることができる。それは単なるリアリズムという柄杓では汲み得ないものだ。そして、あるいは瞬間的なダイナミズムとは矛盾しかねない恒久的かつ隔世的な味わいである。その二面性が仏前の開かれた空間性のなかで豊かに溶け合うとき、思わず手を合わせてしまいたくなるほどに、我々は強く、無力に、説得されてしまうのである。

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