2015S課題小説No.1
『プロローグ』
71202900 総合政策学部4年 木保 直也
五月の深夜、白川慎吾はベランダの手摺によりかかり、大きなため息をついていた。すぐ目の前に海があるので、潮の香りが鼻腔いっぱいに広がった。風がないため、海面には赤みを帯びた満月がゆらめいている。
「なんでこんなものをあんな美味しそうに飲めるんだ……?」
慎吾は今にも吐きそうな顔をして、気合で飲みきったビールの350ml 缶を握りつぶす。折角二十歳になったのだからと、0時を迎えると同時にコンビニで買ってきたのだが、金輪際口に入れることはないだろう。
胃と食道の中間ぐらいなんとも言えない異物感を感じながら、酔いを醒ます為に外にでる。
海岸沿いの道をしばらく歩いて、通い慣れた海浜公園に足を踏み入れると、昼間とは打って変わって静まり帰った光景に思わず息が詰まった。
まるで死んだようだ……なんてことを考えて、アホらしいと首をふる。いつから自分はそんな感傷的な人間になったのかと問うてみるが、これよりも苦々しい記憶の蓋が開きそうだったのでやめておく。
「俺もついに二十歳かぁ」
公園内の小高い丘にある東屋に腰を下ろして、慎吾はしみじみとそう呟いた。
ふと、右腕にはめた腕時計を覗き込み、長針が一周するのをじっと数える。たった今経過した時間の、約3600×24×364×20倍の時間を生きて来たわけだが、そろばんを習ったわけでもないのでパッと答えが出てくるわけでもなく、どうせ出てきてもぴんとこないだろうし、なんとも無駄な時間を過ごしてしまった。
「いや、俺、酒に弱かったんだな」
相変わらず爽快感など欠片もないが、外気に当たっていたおかげか、頭が少し冴えてきた。そうなってくると、さっきまで自分が考えていた益体もないことが、本当にどうしようもなくしょうもなく思えて、慎吾はベンチに体を横たえた。
しばらくそうして、ぼーっと真っ黒な東屋の天井を眺めていたら、気付かぬうちに眠ってしまっていたようだ。
「少しは楽になったかな?」
慎吾は立ち上がるとグリグリと関節を動かして体の調子を確かめる。30分ぐらいしか経っていないはずだが、どうにも固まっている気がする。
なんとはなしに、崖になっている柵の方まであるいていくと、角度が変わったせいなのかは知らないが、心なしか先ほどより赤みを増した満月が揺れていた。
そういえば、小さい頃に良く親父に連れられてきたなと、柵に背中を預けて思い出す。当時はまだ体も小さく、ともすれば柵の隙間から落ちてしまいそうな恐怖があったが、今はそれもない。落ちないように襟を掴まれながら、父親がする遠くに見える大型タンカーの説明に、目を輝かせている様を、東屋で弁当箱を広げた母親が見ている。そんなまじりっけなしに幸福だったと言える時間があったらしい。
けれど、ここ7、8年の記憶があやふやだからか、昨日のことより鮮明に思い出せるその記憶は、とても大切なものなのだろう。中学・高校と青春真っ盛りの時期の記憶がないというのは、結構深刻なことのような気もするが、記憶に残るような出来事がなかったのだから仕方がない。
「そろそろ帰るか……ん?」
明日も普通に大学があるし、と踵を返した慎吾のつま先にコツンと何かがあたる。見れば、15cmほど小石を積みあげたものがそこにあった。いくら暗かったとは言っても、この大きさのものに今まで気がつかなかったのは、やはりアルコールが抜けきっていなかったからか、はたまた別の原因か。
きっと、昼間にきた子供が積み上げていったのだろう。その積み上げ方に規則性はなく、大小さまざま、ただ周囲にあった小石を視界に入ったものからツ積んでいったみたいだ。
「賽の河原、だっけか」
ふと、そんな民間伝承があったことを思い出す。確か親より先に死んだ子供は、三途の川のほとりで親の供養のために小石の塔を作らなければならず、けれど完成間際になると獄卒に壊されてしまう、といったものだったはずだ。
単純作業の繰り返しなんて、一昔前の拷問かとも思ったが、他の地獄の責め苦を考えれば、まだ救いがある方なのかもしれない。
「あぁ……俺にはもう関係ないのか」
両親はとっくの昔に向こうにいったし、もう子供ではなくなったのだから、賽の河原送りになることはなくなった。
「……そっか、なら、もういいや」
慎吾は、一度大きく深呼吸をして、一息に柵を乗り越えると、眼下に見える月に向かって身を躍らせた。
未だ少し残っているアルコールのおかげか、落下の最中に意識は途絶えた。少しの間乱れていた海面の月も、しばらくするうちにもとの姿を取り戻し、ゆらゆらと揺れていた。