文界の権力者たちへ。〜庶民は1000円で3食食えます〜
『ルビンの壺が割れた』宿野かほる著
大事件だ、と言わざるを得ない。こんなにもひどい本を、大出版社が本気を出して推している。ほんの1時間もあれば読める文字数に、大げさなセミハードカバーをつけて1000円。肝心の中身は、「お金も時間も無駄にした!」と床に叩きつけたくなるような内容である。もしくは、私の読解能力が、大絶賛されるこの本の素晴らしさに追いついていけていないのだろうか。後者の場合、非常に恥ずかしいことになるので、ひとまず研究会に参加して周囲の評価を様子見することにした。これまでにないほどの酷評から察するに、どうやら私の反応は正常なものらしい。
そうなると気になってくるのは、どうしてこの作品がこんなにも過大な広告をされることになったか、ということである。『ルビンの壺が割れた』は、あまりにも凄すぎてキャッチコピーをつけられないため読者からコピーを募ろうと、異例の出版前全文公開に踏み切った作品である。にも関わらず、読者が考えたキャッチコピーは本の帯には使われず、せいぜいWebページに載せられ、特装版が採用者にプレゼントされたのみだ。一般に刊行された本には、結局プロのコピーライターが考えたものが使われた。
商法としては面白いが、これは何回も使っていては出版社の信頼を地に落とす、1回こっきりの究極手段である。その奥の手を使ってまで売るべき本は今作では無いような気がする。そして、そのことは酸いも甘いも読み分けた編集者たち自身が一番よくわかっているはずだ。この本をどうしても売らなければいけなかった大人の事情がきっとそこにはあるのだろう。
『ルビンの壺が割れた』が面白くないことは、もはやどうでもいい。だが、これを権力行使で優れた作品として世に送り出すことは、日本の文学にとっては毒である。しばし芸術は権力に介入され続けてきたが、嘘ものは嘘ものでしかない。「本当に面白いのはコチラです」と、胸を張って主張できる文学界であることを願うばかりだ。