ルビンの壺が割れる、それだけで

「この小説、凄すぎてコピーが書けません。」

「ネタバレ厳禁!!」

 逆説的な言い回しとなるが、これらの言葉を売り文句として使った時点で、これらはコピーフレーズとして成立してしまっているし、全くの先入観なしで読む場合と比べて新鮮さを失うという意味では、ネタバレになってしまっている。宿野かほる氏の『ルビンの壺が割れた』、の帯に大きく記された売り文句のことである。

 売り文句というものは難しい。読む前からこれはこういう作品なのだろう、と想像させなければいけないが、させすぎてもいけない。適度な想像は期待感を膨らませるが、過度な想像は未読の読者に想定させ過ぎてしまうのである。

 『ルビンの壺が割れた』で言えば、これはこのタイトルのみで売り出されている状態がほどよい状態だったのではないか。カバーにも描かれているが、「ルビンの壺」というのは多義図形の一つで、向かい合った二人の人間の顔にも、一つの壺にも見える絵のことである。ここに「割れた」という動詞を噛ませた作品タイトルで、何も知らない人間は惹きつけられる。「実在しない、ただの絵のはずの壺が割れるとはどういうことだ?」と、その惹きつけられ方を言葉で言い表すならこういうことである。

 その程度の、中身がほとんどわからないくらいの期待感で文章作品の事前知識はちょうどいいのである。冒頭に記したような煽り文句というものを見てしまった段階で、読み手の想定は狭まり過ぎてしまう。予想外のことが起こるのだろうな、と分かってしまう。それがちょっともったいないな、と、読後の私は思ったのである。

 作品の構成としては、決してつまらないものではない。夏目漱石の『こゝろ』がそうであるように、誰かが別の誰かに宛てたメッセージを地の文として話が進むというのは、一人称視点と三人称視点が交じった文体となり、読んでいて感情をこめやすい。そしてそういう文体が似合うテーマだから、読後素直に面白かったと思える。だからこそどうしても、なんの先入観も持たず読めなかったことを、少しばかり惜しんでしまうのである。

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