山から学ぶ
“道のありがたみを知っているものは、道のないところを歩いたものだけだ”
大島亮吉(おおしまりょうきち)という登山家が遺した言葉である。ここで彼について調べたことをいくつか載せたいと思う。
明治32年9月4日生まれ。東京出身の慶應義塾大学卒。大正4年に慶大山岳会に入る。奥穂高、前穂高の積雪期初登頂、谷川岳岩場の開拓などの偉業を果たす。また西欧の登山思想・技術を国内に紹介した。昭和3年3月25日前穂高岳北尾根で墜死。
頷ける反面随分偉そうに聞こえるこの言葉には、彼のパイオニアとしての矜持と未知(道)を開拓することが如何に素晴らしいことかがにじみ出ているように私は思う。ただ誤解してはいけないのはこの言葉は何も「道のないところを歩け、さもないとその有り難さは理解し得ないだろう」という脅迫状ではないということだ。山を愛する登山家の彼が、多くの人に危険を冒して山を登って欲しいとは毛頭思っていないだろう。加えて、私の解釈でこの言葉を言い換えるのであれば、
“道のありがたみを真に知り得るのは、道のないところを歩いたものだけだ”
となる。
0から物事に取り組む人、前例のないことに取り組む人の苦労は凄まじい。私たちがそれを全く経験していないとは言わない。生まれてから起こる様々なことは私たちにとって前例のない体験としてふりかかるのだから。だが、意識的に未知に挑むのとそれとは別物だ。明確な差異としては使命感や願いの有無が挙げられるだろう。危険と隣合わせである山登りに携わる人間だからこそ説得力をもって言えるこの言葉だが、山登りのみならず私たちの日常いたるところにそういったパイオニア達の苦労や願いが込められているということに気づかせてくれる。髄まで感じなくても良いのだ。ふと日常でそういったパイオニアや物事のルーツに思いを馳せることが大事なのだ。
さて、私の次の山登りは誰のどんな道を踏みしめるのか。楽しみである。