嘘と嫌いな人

私は嘘だらけの人間が嫌いだ。と、同時に、全く嘘をつかない人間も嫌いだ。

 

一見して酷く横暴な意見だと思われるかもしれない。あるいは「何を当たり前のことを言っているんだ」と思われるかもしれない。

 

“智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい”

 

夏目漱石の著した『草枕』の冒頭部分であり、私の恩師がよくぼやいていた一節である。『草枕』は1906年、当時の文藝誌である『新小説』にて発表された「非人情」の世界を描いた作品である。これが発表された当時と今は全く違った環境であるのに、今を生きる私でもこの一節は深く頷けるものだ。

私にとって嘘だらけの人間は考えすぎ、さしずめ自身の“智に働き過ぎている者”であり、全く嘘をつかない人間は考えなさすぎ、つまり自身の“情に棹し過ぎている者”であり、偏りを見せるその両者共に“意地を通している人間”なのである。そういった世の住みにくさを髄まで堪能してしまっている人と接すると、私はその人を紐解くために自身も住みづらさに片足を浸してみなければと思うのだ。無論、そのような哀れな者共を紐解く必要などないのかもしれない。適当に接してしまえば私も幾分か住みやすくなるのだろう。だが、そうしようとしたところで私は依然この「智」「情」「意地」のよき塩梅を知らないのでどうしようもなく、これはその塩梅を紐解くための紐解きでもあるのだ。深く頷ける一節をくれたことに感謝する反面、住み易さのHow toを残さなかった漱石を恨めしく思う。

改めて、私は嘘だらけの人間が嫌いだ。同時に、全く嘘をつかない人間も嫌いだ。だがそんな彼らと接することで、この漱石の残した謎に答えを出そうとしている。これを読んでいる方々はどうだろうか。「嘘」も「嫌いな人」も生きるうえでは不要かもしれないが、そういった不要なものがより良くするヒントを持っているのかもしれないとは思えないだろうか。

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