豊田議員
ハゲ
他人を傷つけようとするのなら自分も傷つくリスクを負うべきであるというのは幼少のころから変わらない信念だ。悪意のあるなしに関わらず人は人を傷つけるが、その際最低限引き受けなければならない傷というものがあると思う。正義感というものとは縁遠いままに歳を重ねてきたが、そのことだけは今でも固く信じている。
私は面と向かって人に「ハゲ」と言ったことが少なからずある(男子小学生はハゲという言葉が好きだから)。しかし相手を深く傷つけてしまったのは一度だけである。そのときのことを思い出すと今でも激しい後悔にかられ、度し難い羞恥で私は顔を赤らめる。
中高で六年間お世話になった数学の先生は三十半ばにしてハゲていた。頭頂部を中心に無軌道なハゲ散らかし方をしており痛々しかった。先生は時折その頭を紅潮させながら、かん高い声で熱心に喋った。修学旅行など野外に出る際は、炎天下から頭頂部を守るために(おそらく奥さんからプレゼントされた)白いチューリップハットをかぶり、それが一層悲惨さを際立たせていた。
ある日の授業中に、私は彼の頭を揶揄するようなことを隣の席の友人に言った。ハゲという言葉を使った。ざわついた教室の中での、私と友人の二人だけの冗談のつもりだった。しかし不運なことに私が言葉を発した瞬間に奇妙に教室は静まり返り、虚勢的にやや大きくなった私の言葉だけが響いた。フランス語で唐突な静寂のことを「天使が通った」と言うらしいが、私が見たのは確かに悪魔の後ろ姿だった。先生は後ろを振り返り、硬直した表情のまま何も言わなかった。
その後、高校にあがったころから先生は自分の頭髪を自虐的に喋ることで笑いを取るようになったが、その度に私は消え入りたいような気持ちになった。そして今でもあの日のことと、白光に浸され輝くチューリップハットの後ろ姿が刺青のように記憶に刻まれている。
ハゲを笑うものはハゲに泣くよ、と先生はよく語っていたが、今私も自分の頭髪の暗澹たる未来を想いながら、自らが引き受けなければならないものについて考えている。