JRA

テレビCMには業界ごとに特有の毛色が見られるように思う。外車のCMは洗練されて格好いいし、ウイスキーや焼酎のCMは渋く、携帯会社のCMは訳の分からないものばかりである。そしてそれは単純にモノを売りたいという目的に基づいた指向性というよりも、「何を売り物にしているか」という哲学に結びついている。
ところでJRA(日本中央競馬会)というのは意外にもユニークで良いCMを多く出している。古くは73年、競馬にまつわる多くの文章を書き、また馬券のセミプロを自称していた寺山修司を起用し、自らの詩を朗読させた。東北訛りの訥々とした語り口は暗く、誰もいない競馬場のスタンドでたそがれる姿もまたどこか暗鬱ではあるが、その暗さを躊躇わない姿勢には、競馬が単なる賭博ではなくまた単なる娯楽でもないのだという意思が滲んでいる。
また2011年の宝塚記念のCMでは、レース中に骨折し非業の死を遂げ伝説となった逃げ馬、サイレンススズカを取り上げながら「速さは、自由か孤独か。」というコピーをT. Rexの音楽にのせて打ち出しているし、2015年には「夢の第11レース」というタイトルで歴戦の名馬たちが集ってレースをするという設定で、実況風のナレーション付きのCMを出している。
なぜJRAのCMが面白く良いものが多いのかといえば、そこに強烈な自己劇化の作用がはたらいているからである。もちろん公営ギャンブルという微妙な立ち位置ゆえの啓発的な目的があることも否めないが、馬券を買うという行為自体を日常を逸脱したドラマティックなものに仕立てるためには物語性の要請が生じる。売るのは馬券ではなく、あくまで「ドラマ」なのである。それは建前にすぎない。しかし建前にすぎないとしても、それを支えるための言葉や画というものはオーセンティックでなければならない。それを単なるドラマツルギーと見るか意地と見るか、あるいは現実に侵食する叙情と見るかは自由だろうが、土屋太鳳や松坂桃李がキャッキャしている今のCMを見ると、なんだか切ない気分になる。

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