『ペシミスティックナルシシズム』コラム課題No.1
福田和也研究会コラム課題1
総合政策学部四年 71202900 木保 直也
『ペシミスティックナルシシズム』
「孤独を嘆く人は、実は孤独に酔っている」
先日、ツイッターで威勢良くつぶやいていた二十歳かそこらの自称学生ビジネスアドバイザーの言葉だ。……こいつは孤独の何もわかっていない。プロフィールからも頭の悪さが滲み出ていたから驚きはしないが、よくもまぁ、自身の無思慮を自信満々に言えたものだ。きっと、脳みそのどこかが破損しているに違いない。
人は、孤独に酔っているから孤独を嘆いているのではない。孤独に酔わなければやっていけないから、無理やりにでも酔わなければいけないのだ。
人の感情は使わなければ錆びついていく。笑わなければ笑顔を忘れるし、泣かなければ泣けなくなる。徐々に人としての機能が劣化していくという、根源的な部分に刻まれた恐怖に抗うために、孤独な人は、他を捨てて一部の感情だけでも生かそうとする。
誰も好いてくれないから、自分で自分を好きになる。そんな自分を客観的に見て、自分のことが嫌いになる。そうして自己嫌悪している自分のことを好きになって……そんな虚しいサイクルを作り上げることによって日々を生きている。
けれど、人は他者との遣り取りの中で成長していく生き物だ。だから、きっとそこには中身がない。外側だけ歪に整えただけでは、いくら頑張っても入れた先から漏れていく。
あぁ、認めよう。中身があって、側もまともな人間には憧れる。だが、それがいくら虚勢と虚構で塗り固めたハリボテであっても、二十以上の年月がそこにはあるのだ。
今更変わろうとしても手遅れだ。所々にガタがきているのを自覚していても、いつか来る崩壊の時に向けて、ただ盲目に歯車を回し続ける道しか残っていない。