嫌いな人の考え方
映画にしろ小説にしろ、どんな作品を描くにしても面白みを出すには欠かせない基本骨子の様な要素がある。それは、個性豊かなキャラクターの数々だ。しかしながら、百も二百も登場人物がいては、複雑過ぎる。あまりよろしくない。そこで思い出して欲しいのが『ドラえもん』だ。
ドラえもんで主に登場するのは五人。主人公である「のび太」。それをサポートする準主人公の「ドラえもん」。主人公と恋愛関係にある「しずか」。(この場合は一方的だが…。)主人公と犬猿の仲にある「スネ夫」、「ジャイアン」だ。この五人がいれば大抵の物語が成り立つ。裏を返せば、この五人がいなければ物語は成り立たないのだ。
ドラえもんやしずかちゃんの必要性は理解出来る。では、普段からのび太を虐げているスネ夫やジャイアンは物語に本当に必要なのか、と疑問符を浮かべてしまう。しかし、スネ夫には大きな経済的なバックアップがあり、ジャイアンには他を圧倒する腕力が備わっている。これらは主人公にも、準主人公にも、ヒロインにも無い「個性」なのだ。ただ、その「個性」の使い方が少しずれている。それだけの話だ。そんな彼らと良好な関係を築くには、その「個性」を尊重し、逆に利用してやろうと言う程の気概だろう。
人として生きている以上、嫌いな人と肩を並べていかなければならない機会も少なくない。そんな時は、自分に無い個性を持っている、それを利用してやるぞ、と前向きに考えると事で心地よい関係を築く足掛かりになるのではないだろうか。
(まぁ、私はそんな出来た人間ではないので、避けてしまうのだが。)
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