ムーンライト

「薬物とか、同性愛とかの映画」
そんな曖昧な前評判だけを聞きかじって見に行くことになったので、少しだけ気が重かった。社会派の要素が強い映画は見ていて疲れるし、その上コラムを書かなければならないとなると一層気が滅入る。どうしても、何を書こうか、どうやって課題を処理しようか、などと邪まなことを考えながら見てしまう。
冒頭に、主人公のシャロンがいじめを受けるシーンを見て、「なるほど従来の黒人・非黒人における関係ではなく、同じ黒人間での暴力やいじめといった差別の形態か」などと考え、挙句フアンとシャロンが出会ったシーンでは、「主人公はこのギャングに強姦され、大きなトラウマを抱えながら同性愛者になるに違いない」と、全く的外れな予想を立てていた。
しかし、そんな無意味に気張り、空振っていた私の態度、私の見方は気がつくと叙情的な映像美によって自然と矯正されていった。ほとんど言葉を発さない少年期のシャロンの、その心情の揺らぎと切迫を代弁するかのようなカメラワークや、画面全体に薄いモヤのようにかかる青色のエフェクトなど、映像はセリフを超えて雄弁で、パセティックなものを訴えかけてくる。
このコラムを書くために色々なレビューを見たが、やはりこの映画が扱う社会問題などについて書かれたものが多かった。もちろんそれが正しく、立派な見方だろうと思う。しかし私にとってこの映画は「なんとなく悲しくて、きれいな映画」だった。実際、なぜフアンは死んだのか、シャロンはどのようにして売人になったのか、二人のその後はどうなるのか、などの説明がおそらく意図的に排除されており、単に様々な社会問題を詰め込んだ映画だとは考えにくい。
「みんな風が吹くと立ち止まる。風を感じたいんだ」
シャロンとケヴィンが海辺でそう語らうシーンは、とても印象的だった。私にとってのこの映画も、あるいは風のように、ただその場に立ち止まりたくなるような、心地よい倦怠と哀切を残して過ぎ去っていく何かだった。

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