代理課題
わたしは、おとな?
総合政策学部2年 石田 理紗子
「大人」とは何なのか、ということを考えてみよう。
大学4年生の先輩方も卒業間近、大人の仲間入りだろう。なにせ社会人という称号を得るのだ。社会人1年目の兄が仕事の電話をしているのを聞くと、知らない人みたいだった。大人って、こういうことだろうか。
私は、先日20歳になった。お酒を飲めるようになったし、堂々と投票も行ける。お化粧が濃くなった。ヒールの高い靴を履くようになった。大人って、こういうことだろうか。
先月から新しいバイトを始めた。大きいのか小さいのかわからない出版社でだ。どんなことをするのかと思ったら、主に電話番だった。あとは、新聞を読んだり、配達物の仕分けとか、ゴミの片付けとか。会社の主婦かもしれない。自分の手で、お金を稼ぎ始めた。大人って、こういうことだろうか。
話は変わるが、私は今井むつみ研究室にも所属している。とても苦労している、というのはどうでもいいのだが、1行目の問いにヒントを与えてくれそうな論文を発見した。感情の概念の獲得と、感情を読み取り(相手の表情を見て怒っていると言語化できるか、など)の関係性についての論文だ。結論はこう。感情を読み取れるからといって、概念を完全に定義できているわけではない(怒っている表情を見て怒りと判断できるが、悲しい表情を見ても怒りと判断する、など)。様々な意味を含めてしまっている(悲しそうな表情を怒りの概念に入れてしまう、など)概念を、経験や知識の増加とともに狭めていく、というものであった。感情の概念が、大人に近づくにつれて狭まっていくことによって、正しく使えるようになるのだ。
さて、これがどうつながるのか。私は、大人の概念も年を重ねるにつれて狭まるのではないか、と考えたのだ。大きいアメーバのような形の「大人」という概念が、どんどんスリムになって、小さくてきれいな丸や四角の「大人」という概念になるのだ。それがカッコイイのかはわからない。敢えて歪な「大人」も素敵だろう。どんな形を目指すのか、どうなるのかはわからない。でも、きっと私は大人になってしまった。まだまだ収まりの悪い「大人」だが。大人の自分を認めて、背伸びして頑張りたいと思う今日この頃だ。
そして、最後にかわい子ぶろう。私はまだ「大人」というより「おとな」だと思う。なーんてね。