成熟と喪失—”母”の崩壊を一回だけ読んだ感想

「成熟と喪失—”母”の崩壊を一回だけ読んだ感想」

総合政策学部2年 長内 あや愛

正直に書くと、読み深めることができなかった。一週間でなんとか一度読み、内容を理解したつもりでいるのだが、まだ私には、内容を”解釈”できている気がしない。この一週間、毎日あったフランス語インテンシブの期末テストの週間にあたらなければ、もっともっと深く読み込み、自分の中で噛み砕いて、深い解釈に辿りつけた気がしてならない。もっと深く読み込めたなら、今現在理解している私なりの「成熟と喪失—”母”の崩壊」とは違う、「母」の解釈、成熟と喪失について、物語を超えた、その先の考えるべきことが見えてくるはずだと思った。むしろ、読み込んで考えてくださいと、言われている気がした。だから、今回は一回だけ読んだ感想を書きたいと思う。

どんな内容かと大雑把に言うと、登場人物の話を通して、母親を喪失することが、成熟への条件であるのではないかと問いかけてくるものであると私は理解した。要するに理解が難しい本だと感じだ。

読み始めて一番に思ったことが、いつの時代の話だろうということだ。“母”の存在が今の”母“という存在と違う意味を持っていると感じたためである。調べると江藤先生が60歳前後の時の連載を1993年にまとめた本であった。つまり私が生まれる3年前よりも前のことである。読み始めて、社会進出が推し進められている今現在の「母」とは全く違う「母」だと思ってたが、すぐに考えるべきところはそこではないと思った。この本は、これから先も時代に関係なく読み深める必要のある本だ。

「母」という言葉だけを見ると、時代によって役割は異なるし、「母」は一人の女であり、誰かの親であり、誰かの娘であり、誰かの友達である一人の人なのだが、この中での「母」は、“人”をこえてのいつの時代も存在する”「母」という存在”を物語をこえて、時代の批評をこえて、論じていると感じだ。これが一回読んだ感想である。

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