「クラーナハ展」500年後の誘惑

「クラーナハ展」500年後の誘惑

環境情報学部3年 太田朝子

クラーナハとは誰か。ゴッホ、フェルメール、モネにピカソとお馴染みの名前は浮かぶが、クラーナハとはあまり聞き慣れない名前だ。ルカス・クラーナハ(1472-1553年)は、ドイツ・ルネサンスの巨匠で、宮廷に仕えた御用絵師である。世界史の教科書に欠かせないあの宗教改革のルターともお友達だという。彼が活躍したのは1516年辺りで、500年後がちょうど今というわけだ。

「誘惑」と言っても絶世の美女やぴちぴちの肉体を想像してはいけない。クラーナハの絵画にある人物は何だかいびつだ。カッコいいポーズをキメて涼しい顔をしているけれど、どこか固い。実はインナーマッスルが鍛えられそうな苦しい体勢なのでは、といちゃもんを付けたくなる。『神聖ローマ皇帝カール5世』の長いあごはハンガーを掛けたくさせ、緩やかな撫で肩は砂場で作った山の頂上から顔が出てきましたよ、と言わんばかりの独特さだ。

しかし、ハンガーだの砂場だのと言ったのを後悔させるのは、これでもかと並ぶ魅惑の裸体たちだ。『ヴィーナス』といえば、貝殻の中からぱっかーんと登場するきらびやかな女体が思い浮かぶ。一方クラーナハのヴィーナスは、黒を背景に岩石らしき上に立つ、ニンマリとした女だ。美人でもない顔、ふにゃけた腰、そして我々を圧倒する、自分が裸であることを完全に忘れているかような表情。「私、服着てませんけど何か?」とでも言いたいのか。髪はしっかりセットされているし、アクセサリーも付けている。だが、ただの裸よりもネクタイというフォーマルアイテムをプラスした裸ネクタイの方がエロいのである。裸体と思わせておきながら、よく見ると透け透けの服を着ている女もいる。しかしこれもまた「私の服、サランラップですけど何か?」とでも言うような澄ました表情なのだ。

近頃のコンビニに並ぶグラビア写真の女たちは修正加工がされ過ぎだ。脇はつるつるで、一つのしわも毛穴も見えない。そんなものは人間ではない。クラーナハの人物は違う。どこかいびつでぎこちない、シンプルな表情。500年も前から届いた「誘惑」とは完璧すぎない人間の写実性であった。

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