ブラック・ジャックの違和感
手塚治虫、ブラック・ジャックのすごさとは何か。命を扱う日常的かつ壮大な物語か。スターシステムの集大成である点か。はたまた、医療漫画でありながら、SFである点か。聞く人それぞれにその答えがあるだろうし、一つに選ぶことは難しいだろう。私の答えは、コメディセンスである。
ブラック・ジャックのすごさは、手塚治虫の作品中に盛り込むギャグの散りばめ方にあると思う。ブラック・ジャックはギャグ漫画か、と問われれば、私も含め“NO”と答えるはずだ。しかし、ブラック・ジャックに笑いは盛り込まれているか、と聞かれれば読者の全てが、“YES!”と答えるだろう。しかし、ブラック・ジャックの中にある笑いは、どこか他の漫画、もとい、手塚治虫以外の作者による漫画に散りばめられたユーモアとどこか異なる。そう感じたことはないだろうか。他の、主にシリアスなストーリーの作品は、ギャグを盛り込むシーンは大抵パターン化している。盛り上がりと関係ない場面。重くはない場面。そのようなシーンが一般的だ。しかし、ブラック・ジャックでギャグが盛り込まれているシーンを思い出してみてほしい。とんでもなく、シリアスな場面、山場となる場面で、「なんでここ?!」と思うようなギャグがぶち込まれていることが、度々あるはずだ。
手術中に予想外のアクシデントに見舞われた医師の顔が、ヒョウタンツギになってしまたり(ちなみに、「ヒョウタンツギ」表記はカタカナのようだ、みんな覚えておいてほしい)。重症患者の容体を、コミカルに表現してしまったり。挙げ始めればきりがない。にもかかわらず、このギャグが、ブラック・ジャックの世界を崩壊させたことは一度もない。シリアルな一幕の影響を及ぼさないシーンに、絶妙なギャグを放り込む。それこそが、ブラック・ジャック唯一無二の世界観を作り出すのだ。