教育と洗脳の違いとは何か

洗脳とはある人の思想・主義を強制力を用いて根本的に変えることだという。しかし、生まれた時から反社会的な思想や主義を植えこむことも洗脳と私たちは思う。良い例が、第二次世界大戦の日本である。では、逆に教育とは何かと言うと、ある人間を望ましい状態にさせるために、意図的に働きかけることだという。マクロで見ると、教育と洗脳は違うと私たちは声を大にして言えるし、洗脳は間違っているというが、実際言葉として捉えた時にその差はわずかだ。そして、映画「ヒトラーの忘れ物」をとおして、この思いはより一層強まった。

映画のタイトルから見ると、「グッバイレーニン」のような社会主義を信奉する母を守るために主人公が奮闘するコミカルな物語を想像するが、これとは程遠く苦くて心臓が締め付けられた。戦争後に地雷除去をさせられる少年兵の話だが、いつでも死と隣り合わせであり、任務もいつ終わるかわからない。

私たちは洗脳は間違っているという。だが、生死を問われる状況の最中で、資本主義や社会主義を考えられる余裕などない。むしろ、思想というのは教育に基づいているのであって、時として、戦争は教育に基づいた思想を持つ賢い人たちによるゲームに思えるのである。そんなゲームの駒として使われる少年たちを生き残らせるために、希望を持たせるために、洗脳することは間違いなのだろうか。地雷で腕をなくした少年兵がいたが、その子供は病院で無くなるシーンがあった。その子供の死を伝えず、嘘をついたことは正しかったと思う。洗脳が間違っているのではない。生き残ったものが勝ちで正しい、負けた方が洗脳という言葉でくくられる時もあるのでは?と悲観的にも思ってしまった。

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