ヒトラーの忘れもの、それは地雷

ヒトラーの忘れもの、それは地雷

環境情報学部 3年 太田朝子

 

闘いを生き抜いた若き兵士たちの美談ーー上映前、私はそんなことを考えていた。だが実際の内容は、美談などというお涙頂戴の生ぬるいものではなかった。

まだあどけなさの残る少年たちの仕事は地雷を撤去すること。荒涼たる海岸の砂に棒をサクサク刺しては地雷を探す。爆発させたら死ぬ。少年たちの胸からは「故郷に帰りたい」という気持ちが溢れ出す。

考えてみれば、ドイツが埋めた地雷を、ドイツの少年たちが命懸けで取り出すとはおかしな話である。私が家族に潮干狩りをしたいと言った時、母に「あんなものはね、早朝にトラックが養殖のアサリを砂浜にばらまいて砂をかけて、皆はそれをただ掻き出すだけなんだよ、バカバカしい」と言われ失望した。それならば、最初から店でアサリを売ればいいものを、と思ったものだ。だが地雷となると、わざわざ埋めずに最初から店で出してくれよ、などと言える代物ではない。史上最悪、地獄の潮干狩りである。

恐ろしいのは観ている我々も一緒だ。この作品はホラーではないが、そんじょそこらのホラー映画よりよっぽどハラハラ手に汗握る。13日の金曜日にチェーンソーを持って現れるジェイソンより、いつ爆発するか分からない地雷を見つめる方がよっぽど恐怖だ。

そして映画は終わった。沈黙のエンドロールを見ながらふと思うのは、この映画のタイトルのことである。『ヒトラーの忘れもの』……。なんて可愛らしいタイトルだろう。しかも忘れ物の「もの」がひらがなときている。あれはそんな小学生の宿題感覚で表せるものだろうか。

忘れ物と言われて思い浮かべるのは、子どもが置いていった宿題のノートを部屋で見つけた母親が学校まで届けに来る、という光景だ。「あっヒトラー、あの子ったらまた体操着うちに置いてってるわ。まったくもう」と自転車に乗って忘れ物を届けに来てくれるお母さんーーそんな母親の役目を、この少年たちが爆死しながら担ったということだろう。地雷という名の忘れ物を届けに。

 

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