ヒトラーの忘れ物
「ヒトラーの忘れ物」
総合2年 長内 あや愛(おさない あやめ)
「第二次大戦直後のデンマーク。ナチが埋めた200万個の地雷を撤去したのは、異国に置き去られたドイツの少年兵たちだったー」
映画を見る前にホームページを見たが、題名とリード文が皮肉たっぷりだ。55文字のこのリード文に、映画の全てが詰め込まれている。大方の映画のあらすじは想像がついた。そしてタイトルが、「ヒトラーの忘れ物」なんて、ヒトラーとドイツへの皮肉が詰まった映画そのものなのだろう。忘れ物というよりも、”ヒトラーの残骸”とか、”遺物”とかの方があっているのではないだろうかと、考えながら見始めた。
映画が始まった時から、緊張感途切れることなく、ずっと背筋がゾクゾクするような重い映画であった。戦争の意味、お互いの気持ち、国とは何か、人とは何かをずっと考えていた。
「戦争中にドイツの国が残したものなのだから、ドイツ人で後処理するべきだ」という前提のもとに地雷除去を少年捕虜兵たちが行っているわけだが、人が平和を望み、戦争が終わったとき、人の”平和を望む心”の縛りになるのが“国”なのかと、矛盾する。
戦争は、今でもどうしても無くならない。こんなにも平和を望み続けているのに、より良い平和を望むばかりに、国という単位での争いごとが起こる。しかし戦うのは国を建前にして、人である。戦争が終わったとしたら、国に縛られないのかというと、やはり人は国に縛られて行動しなければいけない。
組織の限界を見たような、どうしても生じてしまう矛盾について考え続けてしまうような、後味の悪い映画だと思ってしまった。
感想としては、”理不尽“についてやりきれない思いが膨れ上がる映画だ。