ヴェニスに死す

2001年9月11日、アメリカ・ニューヨークで旅客機が世界貿易センタービルに突撃したとき、当時幼稚園児だった私はニュースに釘付けになった。幼いながらに非常事態であることは理解していたのだろう。よくわからない単語が並べられたテレビに噛り付いては両親にその解説を求めていた。一見すれば社会に興味をもった優秀な子供のようだ。しかし、当時を振り返ると、どうも私が抱いていた感情は「やばい」よりも「すごい」だったらしい。なんと不謹慎なやつだ、と自戒している。当時世界一の高さを誇っていたビルがテロで崩落していく姿を見て、興奮している5歳児だなんて。だが、身に覚えはないだろうか。普通では考えられない状況に陥ったり、事件に巻き込まれたりすると、時としてヒトは「ワクワク」してしまう生き物なのだ。

 

アシェンバハもまた、非常事態に魅せられてしまった一人だった。トランクの誤送、コレラの蔓延、美少年の出現・・・。怠惰な人生に刺激を求めていたアシェンバハがワクワクしてしまうには十分すぎる条件だった。実際、それは彼がヴェニスでの滞在中に創作活動を始めることに現れている。だが私は声を大にして言いたい。「いや、逃げろよ!」と。箱を通して外国のテロを見ているのとはわけが違うのだ。自分が危険の最中にいることを認知できない、いわゆる正常性バイアス状態に他ならない。東北地方太平洋沖地震後、津波警報が出ているにも関わらず海に見学に行き犠牲になってしまった方がいたのなどと同じ認知心理だ。アシェンバハに告ぐ。刺激は、できれば己の命を脅かさないところに求めてほしい。芸術は爆発すれど、芸術家地震は爆発すべきではない。危険の渦中にいるときは己の非常スイッチを押してくれ。

 

テレビでは今日も悪いニュースが流れていた。。私は乳児暴行殺人の報道を晩酌の肴にしている。アシェンバハは蔓延するコレラの中で少年を求めた。安全地帯から高見する私。危険地帯で身を滅ぼしたアシェンバハ。私たちはきっとどちらも間違っている。

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