ヴェニスに死せず

なんだかさっぱりわからない。僕はヴェニスで死ぬ前に完全につまずいた。不随意の弛緩?明澄雄渾?他動的な美徳の総和?こいつは一体何を言っているんだ。全く頭に入ってこない。とりあえずアッシェンバッハとかいう男は旅に出たらしい。僕の得られた理解は、第1章、第2章計約30ページを合わせてそんなレベルだ。全く割に合わない。もはや、「1ページ」を「1ぺエジ」と訳していることさえ腹が立ってくる。先日の課題であった「異邦人」の「きょう、ママンが死んだ。」がいかに素晴らしい一文だったかがここにきてようやくわかる。僕の精神はアッシェンバッハがゴンドラで帽子におひねりを入れた頃にはズタボロであった。

小説を読むのが苦手な人間の辛さはここにある。全く物語の情景が浮かんでこないことだ。物語に入り込めないのだ。なぜ「異邦人」あの冒頭の一文が素晴らしかったのか。それは、文学的に素晴らしかったのではなく、あの一文が僕に「異邦人」のクレイジーな物語の全貌を見せ、その物語に無理なく引き込ませたからだ。しかし、「異邦人」も、感想としてはよかったのだが、よく分からないといえばよく分からない。しかし、そのような物語は、わからなくて嫌になる物語と根本的に異なる。例えば、「異邦人」と同様に、私にとって、よかったのだが、よく分からない物語は「星の王子さま」である。「星の王子さま」の物語も、何を言っているのか、何が起こっているのかはわかる。しかし、伝えようとしていることが、わかるようではっきりしない。いや、わかるといえばわかるのだけれど、本当にサンテクジュペリが伝えようとしていることは、自分の理解よりももっと深いのではないか、と言う思いが湧いてくる。それが、僕のレベルでの、いわゆる「考えさせる物語」なのである。つまり、わからなくて嫌になる物語は、そもそも、最も表面的なその物語の言葉自体が理解できないのだ。そして、それはその人の教養レベルを表している。この物語の言葉は僕の教養レベルを越えてしまっている。そう考えると、やはり僕には、運命的な出会いをしたカップルの片割れが、必ず病気になるような、いつもどこかで番宣しているようなレベルの話がふさわしいのかもしれない。

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