アッシェンバッハ、ヴェニスに死す
アッシェンバッハ、ヴェニスに死す
環境情報学部3年 太田朝子
『ヴェニスに死す』……何というカッコいいタイトルだろう。カッコいいどころか神々しい。私はこの物語がどんな内容か知らなかった。『仁義なき戦い~広島死闘編』のような重々しさがある。そんなイメージから私はこの物語を何か、暗黒世界をたくましく生きる主人公を描いた任侠映画のようなものだと思っていた。こんなに奥深く荘厳なタイトルが他にあるだろうか。「ヴェニスで死ぬ」とたった二文字変えただけで、とたんにアホらしくになる。やはり『ヴェニスに死す』でないと駄目だ。
さて、では誰がどうしてヴェニスで死んだのだろう。私は驚いた。一言で、すごくつまらなく言えば、「美少年に惚れたおじさんが流行病に感染して死ぬ」のである。アッシェンバッハは美少年タッジオを傍らで見つめ、尾行する。タッジオが乗る小舟を追うシーンでは、「前の車を追ってくれ!」とでも言う刑事のような必死さだ。ついには部屋の覗きまでする。はっきり言ってストーカー、怪しいおじさんに他ならない。
と、これ以上私が話すと、この「名作」を汚してしまう気がする。アッシェンバッハは、「ストーカー」というようなチープな言葉で形容するには高尚すぎるのだ。タッジオを見守る彼の上に広がる空の雲は、「神々に飼われている畜群のよう」だと言うし、彼のあとをつけるアッシェンバッハは「魔神の指図に従っていた」という。この男をストーカーなどと言ったら、天罰として私に雷が落ちてきそうである。
そんな中ふと思い出したのは、昔読んだ、田山花袋の『少女病』という短編だ。この話の主人公は可愛い女の子が大好きな中年サラリーマンで、ある日、普段のように通勤電車に乗っていつも見かけるお気に入りの少女に見とれていると、不運にも電車から転がり落ちて轢かれて死ぬ。どうも筋書きは似ている。しかし、「山手線に死す」では全然カッコつかない。やはり、『ヴェニスに死す』なのだ。