ヴェニスに死す

「ヴェニスに死す」

 

読み始めて数ページ。描写が難しく、読みきれるか不安を感じた私はまずは映画に逃げることに、、、

本作の物語を一言で表現するならば、ある少年に一目惚れしてしまうことで苦悩するが、それでも彼を追っかけてしまう老人の話であり、ややもすれば珍品になりかねない設定である。

それを列記とした大傑作に仕上げた最大の要因は、ビョルン・アンドルセンという少年を捜し当てたことだろう。その中性的な美少年は劇中の主人公はおろか、観客やおそらく監督のヴィスコンティまでも魅了している。彼の美しさは観る者全てを吸い込んでしまう様な透明感に覆われている。周囲と常に距離をとり、詳しい素性も分からない不思議な少年は、まさに息を飲むほどに絶世の存在だと感じた。

主人公が1度目にベニスに着いた時、彼は白い衣装を着ている。その姿はまさに“純白の天使”であり、神から授かった“美”そのものである。その美は芸術家である主人公からひたすら見られる存在である。まさに鑑賞したくなるような“芸術作品”が終始スクリーンいっぱいに映し出される。

だが、主人公が2度目にベニスに着いてから、彼は純白の天使から“美しすぎる悪魔”に変貌する。まるで主人公の心を弄ぶように、魔性の眼でもって見つめ返す。

主人公は偏屈で頑固な故に、孤独がよく似合う男である。だからこそ、自分の中で沸き起こる不純な感情に戸惑い、苦しみ、それでもその想いを抑えきれないでいる。天使でもあり悪魔でもある“美”に振り回される姿が決して滑稽でなく、説得力を持って観客に迫ってくるのも、彼が追い求めている美が普遍性を持っているからだろう。

芸術家である彼は自分も“美”に近づこうと、化粧で自分を覆うことで美を手に入れる。しかし、それはあくまで人工的に作られた美である。そんな美が神から授けられた自然の“美”に無残にも敗北する。

ラストで主人公が息絶えたのは、単なる1人の人間の死だけではない。

まるで死に装束のような化粧が、ベニスの熱気から生じた汗によって崩れていく醜い姿。それは美を追い求めた芸術家としての死でもあったのではないだろうか。

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