代理課題「尊いのは自分」

今日は日曜日。歩くにしたらちょっと遠いBunkamura(東急百貨店)、といったら怠け者と言われそうだ。実際怠け者であるのだが、やはりあの山道を億劫に思う人は私だけではないのだろう。渋谷駅の東口の片隅にある東急運営の無料バスに影を潜めて乗り込んだ。無料バスといえど、目的はデパートであるからか、高そうなコートやらバッグを纏う中年の女性がほとんど、やはり都会には逆もされど高所得者が多い。

しかし、チケットを購入して、アレシンスキー展の中に入ると、現代アートだからか、都会のマダムたちがおらず、思わずホッとした。防寒だけを目的としているのでファッションのふの字もない、雑巾みたいな服装を着ている自分が浮いてじろじろみられることもない。

本題に入ろう。私のなかで現代アートというと、無意識より創出されていたり、現代社会の問題を組み込んだり、もしくは全く理解できないシュールさを追求したりしているという偏見があった。だが、それは全くの思い違いだった。

学生時代からの者の絵画を時系列に並べてるせいか、枠から外れきれない悩みや、そこから自分のアートの個性をみつけていく、また様々なアートにふれて感化されて行く様が有り有りと絵を通じてわかる。特に印象的だったのは、地図の上に炭で絵を描く作品。何かを訴えているわけではない。ただ、思うがままに、自分の好きなように線や怪物を入れ込んで行く。アレシンスキーの絵をみている時に、漫画『寄生獣』を思い出してしまったのは私だけだろうか。それにはこんなセリフがある。「尊いのは自分の命だけだ。わたしはわたしの命以外を大事に考えたことはない」怪物が寄生獣の登場キャラクターに似ているから思い出したのかもしれないが、私はそれだけではないと思っている。作者本人も言って居たが、キャンパスと筆があって、それを思うままに書くことが喜びだと言っていた。そう誰もきにすることなく、自分の絵だけを大切にする彼の純真さ、どこか通ずるものがある。うわべだけの社会に生きる私たち。でも私たちも知っているはずだ。尊いのは自分の命だけだと、ちゃんといえているだろうか。その忘れていた純真さを思い出させてくれた。

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